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永遠の夢の中に消えゆくような音楽(コヴァセヴィッチのバッハ・パルティータ)
映画『アルゲリッチの 私こそ音楽!』のなかで、三人目の夫、スティーヴン・コヴァセヴィッチが弾くバッハのパルティ―タ第4番ニ長調・BWV828・アルマンドが流れていた。

それは、これまで聴いてきたこの曲のどんな演奏よりも素晴らしいものだった。極めて静かで優しいタッチ。ここからいま、音が生まれ、旋律となって流れていく、そしてそれは永遠の夢のなか繋がって消えゆくような、そういうものだ。

バッハの音楽というよりも、「こころの静けさ」の音楽。そんな、えもいえぬ気持ちに包まれる。

コヴァセヴィッチ。アルゲリッチがシャルル・デュトワのあとに愛した男。この人は周りの人々を、いつも静かな眼差し、静かな語り口で、優しく包みあげていく。映画の中でも、そして、このICA Filmsが作った"Stephen Kovacevich - The Past, The Pedals & The Future: A Life at the Keys"という映像のなかでも。慈愛とでも言おうか。パルティータでバッハが伝えたかったことは、こういうことなのだ。

アルゲリッチが、彼と別れたあとも何度もこの男のところに戻る理由が、なんとなくわかった気がした。

※写真は、この日曜日の渋谷区・松濤。
永遠の夢の中に消えゆくような音楽(コヴァセヴィッチのバッハ・パルティータ)_c0193136_2142966.jpg
永遠の夢の中に消えゆくような音楽(コヴァセヴィッチのバッハ・パルティータ)_c0193136_21445157.jpg

■バッハ:パルティータ第4番ニ長調BWV828からアルマンド。演奏:スティーヴン・コヴァセヴィッチ、収録: Verbier Church (Verbier, Switzerland), 2009。→http://youtu.be/5S4rcSzoyVc

 
■バッハ:パルティータ第4番ニ長調BWV828からサラバンド。演奏:スティーヴン・コヴァセヴィッチ、収録: Verbier Church (Verbier, Switzerland), 2009。→http://youtu.be/9Md6zTGcr2o

 
■バッハの演奏とインタビュー"Stephen Kovacevich - The Past, The Pedals & The Future: A Life at the Keys"→
http://youtu.be/vYHVNb4n5v4

 
# by k_hankichi | 2014-11-17 06:30 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
"Bloody Daughter"の温かな眼差し
『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』(原題:Bloody Daughter)をようやっと観た。於:ヒューマントラストシネマ有楽町。アルゲリッチの三女、ステファニー・アルゲリッチ(スティーヴン・コヴァセビッチとの子供)による、映画監督デビュー作だ。→http://www.argerich-movie.jp/#wrapper

これはとても楽しい作品だった。アルゲリッチの一家がまるで目の前に生活しているかのように映し出されていく。ドキュメンタリーだから何の細工もされていない。音楽家の生身の記録に、ぐいぐいと引き込まれていく。

映像の途中途中に挟み込まれるアルゲリッチの演奏。それと次のような日々の記録が前後して描かれていく。そのインパクトは堪らない。音楽家としてだけではなく、女性としての凄まじい生きざまが感銘を呼ぶのだ。

1957年、弱冠16歳でブゾーニ国際ピアノコンクールと、ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。それでも飽き足らず1965年のショパンコンクールで優勝。ピアニストとしての栄光を駆け上がっていく。そんななかにも彼女は一人の女性としても疾走する。さまざまな恋愛を繰り広げる。

1963年、ニューヨークで中国系作曲家ロバート・チェンと結婚。
1964年、ジュネーヴで長女リダ誕生。チェンと離婚。
1965年、ロンドンでスティーヴン・コヴァセヴィッチと恋愛。
1969年、コヴァセヴィッチと破局。ウルグアイのモンテビデオでシャルル・デュトワと結婚。
1970年、スイスのベルンで次女アニー誕生。
1974年、デュトワと離婚。アニーを連れてコヴァセヴィッチと同棲。
1975年、コヴァセヴィッチとの間に、ベルンで三女ステファニー誕生。
1977年、コヴァセヴィッチと破局。
1980年、ショパンコンクールでイーヴォ・ポゴレリチ事件。
1983年、ミシェル・ベロフと交際、ジュネーヴで一家一緒に暮らす。
1987年、ベロフと破局。アレクサンドル・ラビノヴィチと交際。
1989年、ブリュッセルに転居。
1996年、コペンハーゲンでヴィオラ奏者となった長女リダと共演。

アルゲリッチの疾走は、いつまでも続く。そしてそれを見守る子供たちの温かなまなざしが、胸の奥を熱くくすぐる。

写真は、有楽町・交通会館のテラスからの新幹線(好きな場所です)。三越のライオンも年末の火災予防運動に協力中でした。

\"Bloody Daughter\"の温かな眼差し_c0193136_191031.jpg
\"Bloody Daughter\"の温かな眼差し_c0193136_19142080.jpg
\"Bloody Daughter\"の温かな眼差し_c0193136_19185542.jpg

■"Bloody Daughter" →https://www.youtube.com/watch?v=fjl9Q0C_8qY

■"Bloody Daughter"(2) →http://youtu.be/nOmqBYJ5-lM

■"Bllody Daughter"(3) →http://youtu.be/Q5VKlt3iJvQ

Bloody Daughter [DVD] [Import]

Chopin / Euroarts

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# by k_hankichi | 2014-11-16 00:07 | 映画 | Trackback | Comments(6)
『しない生活』(小池龍之介)に心癒される
友人から今これを読んでいると知らされ、おお、とすかさず買い求めて読了。乗り換え駅に気付かずに乗り越しそうになるほと没頭した。『しない生活』(小池龍之介、幻冬舎新書)。

朝日新聞のコラム「心を保つお稽古」に連載されていたものから集成したものだそう。確かに新聞にそういう欄があったなあ、と思ったが、読んだ記憶はない。朝夕の忙しいときなのに何じゃ?と飛ばしていたのか。

そしてそのことを反省した。どの章も心癒される。こんな言葉の数々が胸に刺さる。

■「あなたのため」と言うときの本心は「自分のため」。例えば、言うことを聞かせ支配したい、という欲が裏にある。あるいは、ニーチェは『道徳の系譜』で、「他人のために」という道徳思想は、「私たち(弱者)は優れている」と強者にたいして逆転するために作り出したと考えた。

■善行は人知れずおこなうほうが、心にいい。逆に、人から良い扱いを受けたときは、諸行無常を念じておく。

■私たちの会話の多くは、相手を理解しようとせず、自分を理解させようとしてばかりであるがゆえすれ違う。

■他人へのイライラは、相手の1)「怒り」、2)「欲望」、3)「愚かさ」の三種の煩悩のいずれかに自分の煩悩が連鎖して反応しているだけ。例えば相手の愚かさに私の怒りが連鎖。「ありえない」という否定語は、私たちの心を傲慢で不寛容させ、いら立たせる。どんなことでも「あり得る」。離れて許容せよ。

■手仕事(単純作業)をせず、頭ばかり使っていると思考が鈍る。

うう〜。なかなか思うようにはいかないなあ。

なむ〜。

しない生活 煩悩を静める108のお稽古 (幻冬舎新書)

小池 龍之介 / 幻冬舎

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# by k_hankichi | 2014-11-15 15:55 | | Trackback | Comments(0)
『三島あるいは優雅なる復讐』(高橋英郎)・・・憂鬱なる魂
友人とこのあいだ、「この状況は三島の小説みたいだね」というふうに話をしていた。あの時代と、彼の小説のなかでのさまざまなやり取りは、今に比べればずっと丁寧で、互いにすこし距離をおきながら、しかしそれでいてそういった境遇を楽しむような、そしてその緊張が却って心地よい、そういうことが有り得ていた。

そんななか、みちのく路から帰京する列車の中で読了。『三島あるいは優雅なる復讐』(高橋英郎、飛鳥新社)。
この評伝は、あの日までの出来事を刻一刻と、すべてがそこに求心していくかごとくに描いていた。

たとえば、“『憂国』から『暁の寺』挫折まで 昭和45年2月-あと9か月”という章の中では次のよう。
 
“ 以前から、自由に意見を交わすことのできた「鉢の木会」には、福田恒存、中村光夫、大岡昇平、吉田健一といった錚々たるメンバーがいて、同人誌『聲』の創刊号には『鏡子の家』の第二章までを一挙に掲載してくれるほど好意的だった。
 しかし、三島の映画『からっ風野郎』出演あたりから、メンバーの三島に対する雲行きがあやしくなってきて、彼は離れざるをえなかった。
 きっかけは、酒の酔いとはいえ、吉田健一が相当はっきり「あまり偉そうな顔をするな、お前は俗物だ」と言ったことから始まったという。もともと吉田は三島の新築の家を成金趣味とこきおろしていたし、『宴のあと』の裁判では、有田側の証人に立ったほどの反骨の人だった。”

それにしても、この本は、僕が知らなかったたくさんの三島に満ち溢れている。著者の主観も交えて書かれているのだけれど、しかしさまざまな記録で裏付けされて、悩みも掻きながらあの日までを生きた男の姿が生々しい。

この国を憂い、この世の中を憂い、人々の気持ちとそして自分の境遇を憂いた男の最後までを再び振り返り、夜のしじまは、砂を噛むように苦かった。

三島あるいは優雅なる復讐

高橋英郎 / 飛鳥新社

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# by k_hankichi | 2014-11-14 00:12 | | Trackback | Comments(3)
自分を追う夢(二話構成)
みちのくの朝は寒い。寒いのだけれどもベッドの中だけは暖かく、そのなかで際限のない夢を二話見て目が覚めた。何かを追い求めているのだけれど、実は自分が追われているのかもしれないということに気付く話だ。

<第1話>
 自分の自動車を運転して、会社(これは関東の拠点のほうの)に出社する。敷地に隣接する、しかし構外にある駐車場に駐める。
 夜おそくに仕事が終わる。車を駐めた場所にいくと、そこにはぽっかりと空間があった。あれ、違う場所に駐めたのかな、と頭が空白になり、昨日からの自分の行動を振り返ってみたが、確かにその場所に駐めたはずだ。泥棒に遭った。ああ困った困った、とあたふたしながら、結局その日は車が見つからず憔悴しきって帰宅する。
 仕事をしながら数日が経て、ふと駐車場の件のスロットをみると、そこには自分の車が駐まっている。おお、俺の車だ。再び自分で乗り始める。車の鍵を変えたらよいのかな?ということがちらっと頭を過った。
 数日後、会社の駐車場に駐めておいたら、再び無くなっている。誰かが僕の車を使っている。誰なのだ。やつは、僕が車を駐めるのを見張っているのに違いない。すかさず無くなるのはおかしい。
 僕は自分の車を探そうとする。車のナンバー何番だったのか?思い出そうとしてもわからない。車のなかにあったクレジットカードも解約しなければならない。しかしその番号を思い出そうとしてもわからない。
 そこで自分は、初めてハタと気づいた。自分の車が盗まれたのではなく、僕のほうが人の車を勝手に乗っていたのではないのかと。

<第2話>
 都市に走る鉄道。僕は仕事を、お台場のような場所で手掛けている。街にはショッピングセンター、シアターなども立ち並んでいる。さすがに現代の都市モールは素晴らしい。魅力的なコンサートや映画もかかっている。
 仕事がひけた。余暇、帰りがけに劇場に行きたいな、ということが頭をかすめる。しかし家路をいそぐべきだという声がする。後ろ髪を引かれながら家路につこうとする。
 地上鉄道は、街区の道路に絡むように走っている。お台場の「ゆりかもめ」のように、ビル群をぐるりと回りながらバイパスのように遠くからやってくる鉄道。歩道を歩く先に駅があり、自宅方面へ向かうその電車がまさに到着しようとしている。いまから駆け足すれば間に合うぞ。走る。しかし、ああ、紙一重で乗り遅れてしまった。
 これならば劇場に寄っていればよかった。そう後悔した。仕方がないので、行き先とは逆方向に向かう電車に乗って、隣の駅でこちらに来る電車に乗り換え、確実に次の車両に乗ろうと考える。席に座りたいからそうするのではなくて、時間に余裕ができたから、そうするのだ。逆方向に乗り込む。
 隣の駅に着いた。と、あろうことか、こちらに向かってきた電車のドアが丁度閉まってしまった。残念無念。さらに隣の駅に向かって、逆方向から次に来る電車に乗ろう。そう思って、自宅とはまた離れる方向の電車に乗り込む。
 しかし、再び電車に乗ることができない。だんだん自分自身を見失っていき、これを繰り返していく。もちろん劇場の上演も、どんどん退けていって足を運べない。気づいたときは、もう深夜だった。僕は、どうあがいても永久に家に帰ることもできなければ余暇を楽しむこともできないことに気が付いた。
  
朝から疲れました。
  
# by k_hankichi | 2014-11-13 07:02 | 夢物語 | Trackback | Comments(2)