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平成最後の日の藤の花

平成の最後の日は、近所の名勝史跡での藤の花見物で締めくくった。

徳川幕府最後の将軍の弟、水戸藩第11代藩主の徳川昭武が作った別邸と庭園、戸定邸(とじょうてい)だ。

藤棚ではなくて、鉢植えの藤が散歩道に無造作に並べられているもので、歩いている人が触れられるほどだ。さりげなさと素朴さが光る。

訪れる人もまばらでちょっと拍子抜けするほどだったけれと、時代のうつろいというものを静かに感じ入るひとときを持てた。


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by k_hankichi | 2019-04-30 20:09 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)

ふとしたきっかけで手に入れた『オーケストラ解体新書』(読売日本交響楽団編、中央公論新社)は楽しめる一冊だった。

日本のオーケストラについての本は殆ど読んだことがなかったが、こんなにも様々な仕掛け、やりざま、取り込みをしているのか、と感嘆した。

クラシック音楽の聴衆の平均年齢がどんどん高くなってきているいま、このオーケストラの努力は特筆に値するのではないか。

せっかく近くにいるのだから、ここらで親しみをもってさまざまな演奏にも触れてみなくては、と思った。



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by k_hankichi | 2019-04-29 23:23 | | Trackback | Comments(2)

清々しい青空のもと、ようやく『ジョセフ・コーネル コラージュ&モンタージュ展』に足を運んだ。

やはり目を引いたのは、展覧会のパンフレットやチケットにも使われている『踊るタマラ・ドゥマノヴァのコラージュ』。

漆黒の背景のなか、麗俐に舞う踊り子。その衣服からつま先まで、泡のような珠玉のようなものが包み、そしてそれはその周囲にまで漂って、踊る軌跡とともに空間一体を気高く巻き込んでいく。弾けた泡は空中に舞っていて、活き活きとした息吹が感じられる。

ブログ知人の沼辺さんが所蔵する幾つもの資料も展示されていて興味深く眺めた。中身を読んでみたくもなった。

「箱」のなかに小宇宙に繋がりそうな世界を表した数々の作品は、僕には分からないところが多かった。映像の作品もプロジェクターで投影されていたが、これはさっぱり分からなかった。

それでもコラージュの数々はとても面白く、足を延ばす甲斐のあった展覧会だった。あの場所は千葉の別天地だ。



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by k_hankichi | 2019-04-28 17:07 | 美術 | Trackback | Comments(8)

「モーツァルト対ケッヘル、天才対凡庸・・・。この対立項のなかにあらわれる十九世紀ヨーロッパの諸相に目を注ぎながら、ステレオタイプに陥りがちなモーツァルト像、ヨーロッパ近代、ひいてはこうした対立項そのもののありかたについて、根底から揺さぶりをかけてゆく。これぞ「凡庸」の人、ケッヘルをあえて主人公とした本書の狙いなのである。」

こんな巻頭言で締めくくられて始まるケッヘルとその時代の軌跡を巡る旅は、なかなかどうして面白かった。『モーツァルトを「造った」男 〜ケッヘルと同時代のウィーン〜』(小宮正安、講談社現代新書』。

実に精緻にこの人と時代のことをまとめ上げている。ケッヘルは自らがまとめ上げたモーツァルト作品目録が出版されるのを見ることなくこの世を後にしたそうだけれど、この偉業があってこそ今日のモーツァルトへの敬愛と賛辞が続いているのだと思った。

古書店の店頭で見つけたこの本、奥付を見てみると、2011年3月20日第1刷発行とある。なるほど、知らなかった道理がわかった。

ケッヘルがモーツァルトに出会ったように、僕がこの本に出会えた幸運を噛み締めた。


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by k_hankichi | 2019-04-26 07:14 | | Trackback | Comments(4)

いま流行りの著者だなあと思いながら、我が事のように感じられてついつい手に入れてしまった。意外に面白くて連れ合いにも是非読ませようと思った。

『定年夫婦のトリセツ』(黒川伊保子、SB新書)。有り難い記載が満載だ。例えば「妻が身につける3秒ルール」という項は次のよう。

「さて、ぼうっとしている男性脳の脳の写真を見て驚いた。右脳と左脳の連携信号を潔く断ってしまっているのである。ここが働かないと音声認識が叶わない。つまり、暮らしのそこここで、男性たちは、音声認識のエンジンを切っている。だから、いきなり全開で話しかけられても、聞き取れないのだ。「あなた、あの件、どうなったの?」「あなた、それそれ、取って」も、すべて「ほぇほぇほぇほぇ、ほぇっほぇ」と聞こえている。なので「はぁ?」と聞き返してくる。この「はぁ?」が、女には腹が立つ。」

おー、まさに俺そのものだ。なんだちゃんとした行動様式じゃあないか。これからはこれを逆手にとって、もっと堂々としていよう。

妻の行動様式を解説したものもいくつも取り上げられている。「心の文脈をたどる」 vs. 「事実の文脈に固執する」。これは当たり前に分かっていたものだけれど、対する男側の反応が適切なものではない、という説明もある。まあ、そうなんだけど、いまさら変えられない。連れ合いにはこれを読んでもらって納得してもらおう。

これは夫婦にとっての応援歌だと合点した。


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by k_hankichi | 2019-04-25 06:28 | | Trackback | Comments(0)

作家の藤谷さんが下北沢で営む書店「フィクショネス」は三、四回訪れたことがある。彼の本を買ってサインしてもらって、お礼を言ったもののそれ以降何をしたらよいか分からず、おずおずと店をあとにしたりもした。

その「フィクショネス」が実際に舞台になった小説だった。『燃えよ、あんず』(小学館)。

書店で開催されていたらしい「文学の教室」の出席者たちが、次第次第に啓発されていくなかで、巻き起こる人間模様。

若くして結婚したひと組の男女に訪れた突然の別れ。行き先を決めない京都・奈良の旅のなかでの再会。

書店で新たに開催される「将棋・チェス大会」と、それを通じた自己顕示欲のぶつかり合い。

人が苦しむ様を何食わぬ顔で見ようとする偽善者の企みと、それが見事に潰されて行く勧善懲悪劇の可笑しさ。

まるで浪速喜劇が目前で演じられているかのような痛快な作品だった。

ああ、あの今はなき「フィクショネス」を訪れてみたい。買い求めた本からタバコの香りがちょっとする、あの不可思議な世界にまた足を踏み入れたら、人間喜劇のなかで僕も動き回っているかもしれない。


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by k_hankichi | 2019-04-24 08:04 | | Trackback | Comments(2)

旅先で買い求めた音盤にはその街の佇まいが記憶されていて、不思議な感興がもたらされる。

フランスの田舎のほうの街で買ったのはバッハのピアノ協奏曲全集。マレイ・ペライアが弾きながら指揮をした音盤だ。

この曲のそれぞれは、もともと別の楽器のために作られていたものだから、そのオリジナルの曲を知っているといきなり懐かしい友達が四つ角から飛び出てきて出くわしたときの驚きに似たものが呼び起こされる。

そして「あっ君、もしかして、あのときのヴァイオリンだった人ね?」とか、「オーボエ吹いてなかった?」とか、「お前ブランデンブルクじゃね?」とか訊ねたくなる。

とてもとても明るくてポカポカと心が暖かくなる、それでいて変な華美さや度を越したエグさが無い、素直な演奏の音盤。長く親しめるだろうことこの上ない。

それにしても、ジャケットのペライア氏の笑顔は何とも気さく。とことんたのしんで弾いている雰囲気が満載だ。

■曲目
J.S.Bach: ピアノ協奏曲第1番〜第7番(BWV1052〜1058)
■演奏
マレイ・ペライア(pf, 指揮), アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
■収録
2000.5.14-16(#1, 2, 4, 5)、2001.5.12-13(#3, 6, 7)、Air Studio, Lyndhurst Hall, London
■音盤
ソニークラシカル SK89245, SK89690


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by k_hankichi | 2019-04-23 06:43 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)

「豆大福と珈琲」の話を読んだあとに読んだのは「月とコーヒー」だった。吉田篤弘による短篇集(徳間書店)。

どの小篇でも登場人物は哀しげだ。自分のいまの生活がこれで良いのか、と自問自答し考えあぐねていたりする。

それを救うのは食べ物。それがきっかけとなって、自分がやるべきことに気づく。

本格的な話はそこから始まっていく予感がするが、小説はそこで終わる。ちょっとあっけなかったり、もっと続きを知りたくなったりする。

いままでの吉田さんと違うのは、続きを書き続けないところ。余韻がある。

読者はみなそれぞれの続きを空想する。読み手の中で物語は続いていく。

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by k_hankichi | 2019-04-22 07:43 | | Trackback | Comments(2)

小学生のころ、毎月配本される「少年少女 世界の文学」が楽しみだった。そして「おおかみ王ロボ」というシートンの作品を読んだのもその頃たったと思う。

中身は忘れてしまったけれど、読んでいるときと読み終えたあとの、切なくて哀しい感覚を思い出させたのは、エレーヌ・グリモーのベートーヴェンのアルバムを買い求めたからだ。

マルタ・アルゲリッチが六歳のときにクラウデォ・アラウが弾くのを聴いて、髪の毛が根本から逆立つかというほど強く感動をし、それ以来この曲を断固として公開で弾こうとせず、「きっと、触れてはいけないほど神聖な何か。わたしだったら、きっと、舞台でそのまま死んでしまうだろうと思うくらい」と言った、そのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調作品58だ。

この演奏は、もしアルゲリッチが弾いたとしたらかくあるのでは、と思うようなとっても溌剌でかつ機微に溢れたものだった。

そして聴きながらライナーノーツを読んでいると必ず狼と戯れるグリモーの写真が出てきて、なんとも不思議な気持ちに捉われる。

深淵なる世界と野生の動物への想いとが交わるところから、生きとし生けるものの宿命と儚さと、夢と自信と、そして万物に対して向ける優しい眼差しとでもいうものか。

ベートーヴェンのピアノソナタの第30番ホ長調作品109と第31番変イ長調作品110も、ゆったりとしたテンポのなかに、ああこんなに美しい旋律だったんだなあという発見がそこかしこにある。

誠に稀有な一枚だと思う。

■演奏:エレーヌ・グリモー(ピアノ)、ニューヨーク・フィルハーモニック、指揮:クルト・マズア
■録音:1999年、ニューヨーク(ライヴ=協奏曲)
■音盤:Teldec 3984-26869-2



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by k_hankichi | 2019-04-21 20:51 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

こうやって平成が終わっていくのかな、と思った。

一日一日、一時間一時間、一分一分、一篇一篇、一頁一頁、一行一行を噛み締めながら、そこに向かって進んでゆき、気づいたら、終わっている。時間や日々は必ず移ろい、過ぎ去ってゆく。

平成は特別なふうに感じたけれどもそれは特別なのではなく、昭和がそうであったように、偶然は必然と化して過ぎてゆく。

僕たち一人一人が生きてきたそれぞれの日々もまた特別なふうに思えるけれども、それは特別なのではなく必然だった。

片岡義男の『豆大福と珈琲』(朝日文庫)を読んでいたら、まさにそういうような感覚に溢れた。

偶然は特別なものではなく必然。

浮かんだ言葉がどうしてか大切に思えた。


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■平成最期の日付がついていた。
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by k_hankichi | 2019-04-20 23:09 | | Trackback | Comments(3)