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“「旅行のかたですか」
その青年は、紺のセーターに洗い晒したジーンズをはいていた。異国の街、オックスフォード駅前で出会った日本人に彼は戸迷いながら、優しく声をかけてくれた。
(中略)
あれから33年が経っている。あの穏やかで、優しい青年は、今、新しい「日本の象徴」となろうとしている。”

こんな感じて始まるプロローグのところで、何度も涙がじんわりと湧いてきて、感動で背筋がぞくぞくとした。

『新天皇 若き日の肖像』(根岸豊明、新潮文庫)は素晴らしいものだった。これはこれから彼を迎える我々は一同みな読んでおいたほうがよい。

いくつもの軌跡は、僕自身の体験や読書、音楽とも重なって、例えようもない心地よさとともに読了した。

さわやかな気持ちに春をようやっと意識した。


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by k_hankichi | 2019-02-28 07:27 | | Trackback | Comments(3)

友人が書いていた高橋源一郎さんのコラムのことを思い出していた。自分にも心当たりがあるからだ。

マズローの「承認欲求」のひとつなのかもしれないと感じた。これに嵌り込んだ自分の惨めさ、空虚さを味わうことの痛々しさ苦々しさを思い出した。そしてそのこと自体がいくら求めても際限のないものなのだとも感じていて、それが分かっていても求めてしまうもどかしさに苛ついてもいた。

認められることを念じながらいくつもいくつも努力して、生きて、生きて、顧みられずに挫折する。まるで小説の題材のよう。

人は、何を、誰に、どのように認められたいのか。

ビルディングの真ん中に空いた穴でさえ自分のことのように感じてしまう。

マズローの欲求という呪縛から逃れなければならない。


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by k_hankichi | 2019-02-27 07:39 | 一般 | Trackback | Comments(2)

おくればせながら読了。だいぶん安心した。『白秋期』(五木寛之、日経プレミアシリーズ)。

「地図のない明日への旅立ち」という副題が付いたそこで、五木さんは平易に今の気持ちを明らかにしている。

“メディアをとおし、人とのコミュニケーションの輪をひろげようとすることばかりが強調されています。白秋期になると、なにかのボランティアに入ったり、みんなでいろいろ勉強ごとをやりましょうというようなすすめがあります。そうではなく、どんどん独りになっていくべきだ、というのが私の説です。人間は、最後は独りで物をじっくりと考えたり、感じたりしながら、自然の移ろいのなかでおだやかに去っていくべきだ、と思うのです。白秋期は、子供たちも大きくなった、ちゃんと家も残した、やるべきこともある程度やった。こういう人びとが、現役から退いて林に住み、そこで来し方行く末を考え、人間とはいったい何なんだろうということを思索したり、自分の求める場所に行ったりして暮らすことができる季節です。私は、白秋期を、盛りを過ぎた人間の侘しい晩年の過ごし方ではなく、本当の意味の自立の季節だと考えています。人生の黄金期は、こういう自立思想によってもたらさられるのではないか。”(「孤独のユートピア」から)

僕もまさにそう思う。そしていま僕の父もそれに近い生活をしている(母親は出好きだけれど)。

何々ボランティアやら何々会(歩け歩け会だとか、体操の会だとか)とかに父も関心がなく、ただひたすら我が道を貫いて、趣味とともに今も毎日を過ごしている。友人と遊ぶこともたまにはあったけども皆亡くなってしまったしと呟くが、それでも今はさみしくはないという。

そんなふうに過ごしていきたいと益々思った。


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by k_hankichi | 2019-02-26 00:09 | | Trackback | Comments(4)

今朝の朝刊は「衝撃」というような表現を超越した、そして複雑な気持ちでいっぱいになった。

軍の新しい飛行場建設のための埋め立てに「反対」という県民投票結果の報道。

その下に天皇陛下在位30年を祝う記事。

その左にはドナルド・キーンさん死去を報ずる記事。

トップ記事の編集委員は記す。

“今回の沖縄の民意は無視できない。せめて自治体と向き合い、自らを「謙虚に省みる」姿勢が政権には必要だ。”

新聞側は中立の位置から語っているのかもしれないが、評論に徹することなく、もっと気持ちを開け広げて欲しい。開け広げてくれ。

純粋な御心で、どこまでも平和と安静を希求する陛下御夫妻が、その記事の隣におられるのだ。沖縄のことをあれだけ痛み入ったお二人がこの記事を見られている。

語学将校として沖縄戦にも従軍したキーンさんも左から見ている。日本人の心と文学に深く共鳴し、震災を機に帰化し被災地を励ましてきた彼は必ずや物申すはずだ。

悲痛の叫び。
平和への希求。
日本への慈愛。

全ての記事が祈っている。


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by k_hankichi | 2019-02-25 07:11 | | Trackback | Comments(4)

これまた録画したあった番組の話で恐縮だけれど書いておこう。(冒頭の与太話を早送りで飛ばしてから)観始めて、あまりの衝撃にソファからずり落ちそうになった。おおっと背筋を伸ばし襟を正して聴き惚れた。2月10日に放映された、『クラシック音楽館』のバッハの管弦楽組曲第4番だ。

演奏はトーマス・ヘンゲルブロック指揮、NHK交響楽団、昨年12月7日のNHKホール。

管弦楽組曲(とブランデンブルク協奏曲)は中学生時代から聴いてきたけれども、いつもどうしてか心の芯がどこかでイヤイヤ感を発してしまい、フンニャーという感覚の気持ちで萎えてしまうのが常だった。

なんだか古風な雰囲気で仰々しく、管楽器は煌びやかだが度を越すと馬鹿馬鹿しいほどの騒ぎぶりになりそうだよね、まあ抑えておこうか、でもこっちの弦は中庸の極みだよなあお前そう思うだろ、とお互いに目配せしながら弾いているのではと思うものばかりだった(実際は違うとは思うけど)。

関心があるのになかなか入り込めずに、来た道をすごすごと戻ってしまっていたものが、どうだこのヘンゲルブロックは。

彼にかかると、この曲は新鮮なる生き物たちの讃歌になって変貌している。管楽器は初初しく弾け散り、弦はこれまたリズムにのって前のめりに傾斜していく。

破竹の勢いの青春謳歌のほとばしり。

ああ、これを世界中の教会で響かせたい。太陽が落ちるころであろうとも、この清冽なる響きであれば、明日もきっと良いことがあると信じることが出来る。

それほどまでにこの演奏は僕の奥底まで沁み渡って清めていった。

彼の演奏会にこの次は是非とも足を運ばなければ。

■こちらはヘンゲルブロックがNDR交響楽団を指揮した演奏(2014年10月)。NHK交響楽団とのもののほうが、もっともっと良かった。


■南アジアの教会にまでこの音楽を響かせたかった。そうすればきっと・・・。
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by k_hankichi | 2019-02-24 21:29 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(5)

録画してあったドラマ『約束のステージ 〜時を駆けるふたりの歌〜』(2/22 21:00〜22:54)を観た。感銘した。

タイムスリップした娘とそこで出会ったもう一人の娘が、デュオで全日本歌謡選手権に挑戦する話だ。舞台は昭和50年。高度成長に湧くなかで歌謡曲全盛期の時代だ。

小沢翼(土屋太鳳)と大空つばさ(百田夏菜子)が数々の名曲を歌い勝ち抜いてゆく。そこで起きた挫折。そしてふたたびの挑戦。

いつしか僕も選手権会場で応援する一人と化していた。

歌謡曲をふたたびしっかりと聴きたくなった。

それにしても土屋太鳳の歌声が良いことを初めて知った。つんく♂が作曲した『幸せのセレナーデ』はまさに70年代的であのころの雰囲気が満載。テレサ・テンが歌っても映えそうな名曲だ。

■番組のトレイラー

■『幸せのセレナーデ』


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by k_hankichi | 2019-02-23 20:53 | テレビ番組 | Trackback | Comments(2)

ある国で遭遇するのはこういう形の幌無しトラックで、そこには黄色地に黒字のマークが必ず表示されている。

そしてその横を通り過ぎるのは綺麗に手入れのされた乗用車。古い型式はあまりなくて殆どが新しい。

そういう風景を観ていると、少しずつ脳が溶解していく気分になる。そして何も考えなくなったり、無感覚になってゆくような気がする。

いや既にそうなのか。

平然と観ているようになるだろう自分が怖ろしくて仕方がない。


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by k_hankichi | 2019-02-22 16:32 | 社会 | Trackback | Comments(0)

もしかするとここら代々木上原なのかと既視感に捕らわれた。仏教徒が多くを占めるようになったその街中で寺院の屋根を見つけたからだ。

そうして思った。ああそうか、こちらのほうが本家本元なのだ、と。

半島の突端にある小さな島に息づいていたのがこちらの宗教で、それはしかし様々な政治経済の荒波を経て、いつのまにか殆どそのその存在を意識させらねないような境遇に陥っていた。

栄枯盛衰というもの。その儚き幻が青空のなかに溶けて消えていくところが見えた。


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by k_hankichi | 2019-02-21 01:03 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

鈍感度を増して毎日を過ごして行かねばならない場所がこの世界にはある。そんなことはこの地球の上には沢山あるのだろうと薄々感じてはいたけれども、それが目前に何度も出てくると、どう受け止めてよいのか分からなくなる。

そしてそのことを考えれば考えるほど哀しくて、飲んでいた筈の酒も悉く醒めて遣る瀬無い気持ちに浸っていった。

今のその地は発展し繁栄を謳歌してはいるのだけども、そこを底辺で支えているのは他国からきた出稼ぎ労働者や多くの移民。

もともとそこに住んでいた人々が活躍する姿は少なくとも顕著ではない。

川はすべてのものを海に押し流し、何事もなかったかのように平然とそこに拡がっている。

昔は見えただろう美しい水面は、いまはどこにあるのかわからない。格差の世界の片鱗を覗かせてただただそこに横たわるだけだ。


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by k_hankichi | 2019-02-20 00:49 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)

赤道から北に僅か137キロメートル。昭南島という狂った眩暈に人々が取り憑かれた場所を訪れるたびに、人間の欲望の果てしなさと、それが夢だったということに気づく改悛のそれぞれを味わう。

ジェット旅客機で、7時間半も経て着くその地を、当時ならば陸路海路を何日も何日も費やして漸く辿り着いたわけで、その後にさらにその地を侵攻しようと考え出したことの無謀さを思うと、現代であろうとも唖然とする。

嗚呼、ブキ・テマ高地。そこから見下ろす小さき土地の重苦しさよ。フジタでさえ本当は分かっていただろうその狂気を彼の地の人々も未だに警戒する。その報われなき感覚。

負の十字架を背負ってこの先も僕らは彼らに接していくしかない。そのことを深く感じる。それが歴史観というもの。

夜の月はどうしてから楕円に見えて、それは我が心が捻れているからかと不思議な面持ちになる。

人々が和み楽しむ屋外プールは我を誘惑せども、何故だかどうしても近づけなかった。


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by k_hankichi | 2019-02-19 01:13 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)