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今年も晦日、大晦日を残すのみとなりました。恒例のベストを選んでみたいと思います。

■小説
杞憂していた作家(白石、辻)の復活と新しい小説の世界(奥泉、乙川)が拓けた年だったように思う。その意味でとても嬉しかったし、なにか救われる気持ちに満ちた。
1. 奥泉光『雪の階』https://hankichi.exblog.jp/29413990/
 https://hankichi.exblog.jp/29410295/
2. 白石一文『一億円のさようなら』https://hankichi.exblog.jp/29658893/
3. 吉田修一『国宝 上・青春篇、下・花道篇』https://hankichi.exblog.jp/29827227/
次点 辻仁成『真夜中の子供』https://hankichi.exblog.jp/29664649/
次点(同点) 平野啓一郎『ある男』https://hankichi.exblog.jp/29511753/
次々点 桜木紫乃『霧(ウラル)』https://hankichi.exblog.jp/29888517/
次々点(同点) 乙川雄三郎『この地上において私たちを満足させるもの』https://hankichi.exblog.jp/29919934/

■音楽
音楽の奥義を知った一年だった。ロジェストヴェンスキーの別格さが光る。
1. ロジェストヴェンスキーのシベリウス https://hankichi.exblog.jp/28985514/
2. デュリュフレのレクィエム https://hankichi.exblog.jp/29904417/
3. ブッフビンダーのバッハ https://hankichi.exblog.jp/29635787/
次点. テツラフのベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲 https://hankichi.exblog.jp/29905433/

■映画
明朗快活直球なドラマの最右翼が一位から三位を独占した。
1. 『マンマ・ミーア 2: Here We Go Again』https://hankichi.exblog.jp/29708731/
2. 『響』https://hankichi.exblog.jp/29759774/
3. 『ウィンストン・チャーチル』https://hankichi.exblog.jp/29365114/
次点. 『万引き家族』 https://hankichi.exblog.jp/29593966/
次々点. 『ゲッペルスと私』https://hankichi.exblog.jp/29569088/

■TVドラマ
稀にみるドラマ凶作の年。ぼくはもしかするとドラマは死んだ、と宣言しようかとさえ思った。2位も3位も次点も存在しない。野鈴愛と秋風羽織先生の人としての生きざま、そして彼らの対話のすばらしさに癒された。
1. 『半分、青い。』https://hankichi.exblog.jp/29505037/


今年一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

※奥泉さんの作品を入れ忘れるという大変な間違いに気づき、急遽修正しました(12/31)。


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by k_hankichi | 2018-12-29 21:53 | | Trackback | Comments(5)
真正面から人間の生きざまを映しだそうとする小説家の世界がそこにあった。そしてたとえどのような立場であろうとも、自分に嘘をつかない姿勢を持っていられれば、「一人の人間が斯く生きた」と胸を張れるドラマがそこにあるのだということが分かった。

『この地上において私たちを満足させるもの』(乙川優三郎、新潮社)は、『二十五年後の読書』と一対となる長篇だった。こちらを読みながらまたも、この作品の主人公とはまさに乙川さんのことなのではないのかと思い、しかし暫くして、いやいやそんなことがあるはずがない、と思い直したり、人のことなのだけれども、その彼のことが無性に好きになり気になってしまう。語り合いたくなってしまう。

政治的活動に身を染める一人の登場人物は、次のように語らせる。

「人にはそれぞれ生き方がある、自分という人間を生きる権利があるし、そのために闘う権利もある、それのできない奴は平々凡々に生きて、ただ生きたことに満足して終わるしかない、世界は常に貧富と利害と美醜で成り立っている、たまたま生まれた時代や社会が醜悪であれ、困難を克服する手段も可能性もあるのになにもしないのはもったいない、政治に関わることもの可能性のひとつだが、すべてではない、それぞれの生き方のひとつということになる、つまり百人の人間が百通りの可能性を自覚して生きたら、世の中はもっとおもしろくなる、意外な発展もするだろう、可能性の世界を道で考えてみると分かりやすい、古来人間のさはよくもまあこれだけ多くの道を作ったものだと思わないか、しかしまだ歩けるのだから徒労ではない」

そう考えて自分の道を、ひとつだけの自分の道を選んで歩いていくしかないのだ、と僕も思った。

ドラマというものの魅力に完全に心を奪われた一冊だった。


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by k_hankichi | 2018-12-28 00:37 | | Trackback | Comments(5)
『ドビュッシーと歩くパリ』(中井正子、アルテスパブリッシング)は、音楽を愛する人、そしてドビュッシーを愛する人には手放せないパリの街角ガイドブックだった。写真も盛りだくさんで飽きさせない。

ドビュッシー弾きとしても有名な彼女は藝大附属高等学校2年のときに、パリのコンセルヴァトワールに留学し同学ピアノ科を主席卒業。パリの街に暮らすことも長く、街角オタク的な紹介は面白い。

この本が嬉しいのは、ドビュッシーの足跡を辿りながら、その場所や境遇に合わせたピアノ曲(もちろんドビュッシー)が収められたCDが付録で付いていること。

一粒で二度と美味しいとはこのことだ。

本のなかにはサン・ジェルマン・アン・レというドビュッシーの生誕地の紹介もあり、パン通り38番地の生家が写真でも紹介されている。そこの2階に住んでいたのだが、現在その部屋は記念館のようになっているそうだ。

実は僕もその場所を学生時代(1982年の2月)に旅行で訪れていて、しかしそのときはそのような仕掛けもなく、ただ外壁に「ドビュッシーここに生まれし某年何月何日」と書いてあるだけだった。

記念館的なものになっているのであればいつかまた行ってみたいなあ。


■ドビュッシーの生家(撮影: はんきち、1982.2月)※現在も窓の形や柵、壁の凹凸が変わっていない。
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■ドビュッシーの生家(本書より、撮影: フィリップ・ドラゼー)
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by k_hankichi | 2018-12-27 07:23 | | Trackback | Comments(0)
仕事の専門書であろうともだんだんと頭に入らなくなってくる年頃なのだけれど、小説や音楽の本は大丈夫だと思っていた。その前提が崩れてきていることを体感して愕然とした。『音盤考現学』(片山杜秀、アルテスパブリッシング)。

これは10年まえに、第18回吉田秀和賞と第30回サントリー学芸賞を受賞したものだそうで、そうと分かっていても九割がたが難しくて頭にも入らず心にも響かない。それは著者ではなく僕のほうに原因があって、それというのも十中八九の曲は聴いたこともない作品だったからだ。

博学ぶりだけでなくて、僕の10倍100倍は音楽を聴いてきたのだろうということが、ひしひしと伝わってくる。

専門家というものの奥義を知って襟を正すだけでなく、口を「ん」の形にして神妙になるしかない。

これから辞典の一つとして書棚に置かれる一冊となった。


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by k_hankichi | 2018-12-26 07:33 | | Trackback | Comments(2)
“文学談義は、その場にいま話題にしている本がない、参照できないときのほうがむしろおもしろい。階段を上がる途中でも、あることばをきっかけに、そんなことになると、そのままの姿勢で話す。本も何もないから、あて推量で進み、停止線が見えたところで、沈黙。さほど大きなものには育たない。そこに妙味がある。(中略)文学談義は、「何か」とか「誰かが」とか「どこだったか」とか、そんなことばを起点にはじまり、終わる。見える、わかる、終わる、の時代に、それとはちがう、やわらかな空気が生まれる。”(「文学談義」より)

荒川洋治さんの『読むので思う』(幻戯書房)は、こんな感じのエッセイに溢れている。

文学談義は、音楽談義にも通じていて、もしかすると昭和の映画談義にも通じているかもしれない。

詩人の極めて素朴な、そして文学とか、詩とか文字とかに思いを馳せ続ける日常がそこに描かれていた。


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by k_hankichi | 2018-12-25 06:55 | | Trackback | Comments(4)
聖夜にデュリュフレ夫妻によるバッハのオルガン曲集に耳を傾けている。このアルバムは、モーリス・デュリュフレとマリー=マドレーヌ・デュリュフレがほぼ半分ずつを分担して、前奏曲とフーガ、トッカータとフーガ、幻想曲とパッサカリアを弾くもの。

静かな夜に教会音楽が沁み入り、キリストの慈愛とともに年の瀬に向かうこの一年の日々を思い出す。

一連の曲集を夫妻で弾き分けるという音盤は初めてで、すこし彼らのことを調べてみた。

デュリュフレはパリ音楽院でマルセル・デュプレのもとオルガン科の助教授を務めていて、そこでマリー=マドレーヌと出会い、6年後に結婚する。彼は教職と作曲家のほかに、パリのパンテオンの裏にあるサンテティエンヌ・デュ・モン教会のオルガニストでもあって、マリー=マドレーヌはそこでも職を共にし、また一緒にさまざまな場所に出掛けて演奏もした。

この音盤の演奏はパリの北東のソアソンのSaint-Gervais & Saint-Protais聖堂に1956年に設けられたパイプオルガン(ヴィクトール・ゴンザレス製)によるもの。ヴィクトール・ゴンザレスはスペイン生まれだがフランスのカヴァイエ=コルにオルガン製作を学び、のちに自らのオルガン工房をパリで立ち上げた。その彼による最後の製作となった楽器がこの聖堂に納められたものだそう。

夫婦は1975年に南フランスで自動車事故に遭い共に大怪我をする。モーリスは演奏が出来ない身体となったが、マリー=マドレーヌはパリの該教会のオルガニストとして晩年まで務め上げた。

デュリュフレの宗教音楽への愛は本当に深く、その気持ちは妻にしっかりと引き継がれ、夫が亡くなったあとも教会での務めのほか海外への演奏ツアーも続け、ニューヨークでは「デュリュフレ・フェスティバル」も設けたそうだ。

■録音
1963年11月 & 1965年7月、Saint-Gervais & Saint-Protais聖堂、Soissons
■音盤
EMI Music France 7243 4 89173 2 4


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by k_hankichi | 2018-12-24 22:51 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

『東京時間旅行』の薄さ

軽いエッセイから歴史を紐解き解析する街角探検まで、かなり幅広い文集が集まった一冊だった。東京の歴史を辿り、今現在のそれのなりたちや変化を明らかにしてゆく。『東京時間旅行』(鹿島茂、作品社)。

しかし、いつか読んだ鹿島さんのパリの街の歴史を辿る本に比べると、どうも味気なく感じるのはどうしてなのか。史実やしっかりした資料をもとにしてできるだけ正確に仮説検証を繰り返していくのだけれど、面白さが欠けている。

小林信彦や小沢信男、川本三郎の似たような近代東京の歴史探検エッセイに比べて、ずいぶんと何かが足りない。

神保町にも住んでいたことがある鹿島さんなのだけれど、この本が物足りない理由は鹿島さん本人には分かっているのではないかと思う。

根源的な原因があるとおもったし、それは僕にとっても似た要因があるからでもある。


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by k_hankichi | 2018-12-23 00:09 | | Trackback | Comments(2)
記憶の限りであれば、これが初めてクリスチャン・テツラフが弾く音盤ではないかと思う。そしてこれまで聴いてこなかったことをおおいに後悔した。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は僕はちょっと苦手で、それはこの曲から感じる非の打ち所のなさがそうさせるのだと思っていた。じぶんの役割とテンポを守ったバトラーみたいな品行方正さ。それはなんだか公務員的な純朴さでどうもそれでいいのかと思っていた。

しかしどういうことだ。出だしからして異質な気配に包まれた演奏だ。少し濁った感じのティンパニ音色から始まって、オーケストラは豊かなはずみを付けてどうだどうだと挑むようにヴァイオリンの登場を待ち続ける。

そしてソリストが絡んでいく。オケがそうくるんならば僕はこういう考えなんだぞ、と対話するかのように向かってゆく。

ティンパニは殊更に弾力性高く響きわたる。ソリストの絡み方はまさに彼ら対抗して挑んでいく様相だ。

弾き手がちがうとこうも印象が違うものなのかとようやく理解した。そしてずいぶんとこの曲が自分の近くに擦り寄ってきた。

ヴアイオリンに対するデビッド・ジンマンとチューリヒ・トーンハレ管弦楽団は自由闊達なことこの上ない。しかしそれは暴走族ということではなく、爽やかにかつ気ままにクルージングする趣きで、乗り心地はバイエルンの高級車のしなやかさだった。車体が違うだけでなく足回りもチューンアップされた車に初めて乗ったときのことを思い出す。

快適さと心地よさは第一楽章のカデンツァにも貫かれていて、クライスラーやヨアヒム、アウアーの品行方正なる旋律とは異なり、ベートーヴェンがピアノ協奏曲版のために作ったものが弾かれている。

ライナーノートにあるテツラフの言葉によれば、次のようである。

「普通使われるフリッツ・クライスラーのカデンツァはそぐわないと思うんです。それは和声的にも、そしてその奥にある概念や発想的にも。」

そしてベートーヴェンはこの曲のピアノ協奏曲版ではそのカデンツァで、まるっきり異なるアプローチをしているとする。

「彼はピアノとティンパニだけの共演をさせている。それも思いのほか速いテンポで。それは軍隊的な感じをとても上手く醸し出させ、第一楽章全体の基本概念を表徴していると思うのです。」

そんなことを思考してカデンツァを選んだヴアイオリニストを初めて知った。

指揮者のジンマンは、だからこそ曲全体に、これだけ特別なほどティンパニの音色とその存在に配慮をしたのだと分かった。

■収録
2005.5.30-31、チューリヒ・トーンハレ、スイス
■音盤
独Sony BMG Music 82876 76994 2



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by k_hankichi | 2018-12-22 06:43 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
もうひとりのミシェルがデュリュフレのレクィエムを指揮した音盤を手に入れた。ミシェル・ルグランだ。

こちらの演奏はコルボによるものよりもより明るくて華やかだ。また全般的に合唱のアンブロジアン・シンガーズが張りがあって力強い。バリトンとメゾソプラノとソリストも元気いっぱい。

ドミネ・イエズス・キリストは、咆哮する金管が重なり朗々として、1960年代末に流行った特撮ドラマ『マイティ・ジャック』の主題歌のよう。

サンクトゥスの呼び掛けは初めから快活で、花が満開になって弾ける香りのような華やかさがある。

アニュス・デイは、霧が晴れてゆく高原の朝のよう。この萌え感は心を解放させてくれる。

さてこちらのリベラ・メもドミネ・イエズス・キリストと同じく元気いっぱい。もう少しで『マイティ・ジャック』状態だが一応の節度て律している。

ということで、フランスのエスプリ香は無いストレート系の演奏は、指揮者の性格が反映されたポップなレクィエムとでも言おうか。

ところでライナーノートから、デュリュフレのこの曲はロジェ・デゾルミエールの指揮によって初演されたことも知った。アンゲルブレシュトと並んで彼を愛していた大学時代の友人のことを思い出した。病のため最近亡くなった彼も、おそらくこの曲を聴きこんでいたのではないか。感無量となった。

■曲目
1. フォーレ レクィエム 作品48
2. デュリュフレ レクィエム 作品9
■演奏
ミシェル・ルグラン指揮、フィルハーモニア管弦楽団、アンブロジアン・シンガーズ、バーバラ・ポニー(s)※1、ジェニファー・ラーモア(ms)※2、トーマス・ハンプトン(br)
■収録
1993.6月、ワトフォード・タウンホール
■音盤
ワーナーミュージックジャパン WPCS-5528



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by k_hankichi | 2018-12-21 06:55 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
一日一冊読んだとしても、一生のうちに読める本は如何にあがいても30000冊を超えることはない、という数字をまえにして時折途方に暮れる。これからの人生で読めるだろう冊数を想像すると更に頭を垂れる。実際には一週間に2冊くらいしか読めないから、あと30年としても3000冊くらいにしかならない。

自分が読む本は小説や音楽、街角探検と少々の近代史が主なジャンルだから、その分野で読みたい本の数は既にとてつもなくて、さらに毎年あたらしいものが刊行されるから追いつくことは決してない。

そんななかこんな雑誌が出ていて、するとやっぱり買い求めてしまい、中身を読んでさらに愕然とする。沢山の本が紹介されているけれども、自分がこれまでに読んだ本は数冊のみ。

「Brutus No. 884」特集『危険な読書』。

敗退。ほとんど退場させられるのではないか。

辿り着くことのないゴールを遥かに霞む先に(というか見えない)想像しながら、また今日も活字を追い求め、音楽を追い求め、街角を彷徨う。

ケ、セラセラ。


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by k_hankichi | 2018-12-20 06:44 | | Trackback | Comments(2)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち