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永遠に謎の女優

先の連休に観た映画なのだけれど、まだ消化ができていなくて、しかしこういう溌剌と能天気のなかに一筋の陰がある女の子が小中学校のクラスに居たなあ、と思いながら感慨が続いている。

『巨人と玩具』(監督: 増村保造、原作: 開高健、主演: 野添ひとみ、川口浩、1958年、大映)。

映画のなかで、彼女は表向きは極めて明るく無邪気で健康的に振る舞い、誰にでも屈託なく接する。あまりにもあっけらかんで親しげだから、どの人も彼女のことを単細胞系だと思っている。その陽気さは、男ならちょっと当惑しながらも親しみを禁じ得ない。

しかし彼女は人に向かっていないときにはまったく違う。表情は殆ど無くなり沈み込んでいる。自分の居場所やあり方に心細さと哀しみを抱えたままでいる。決して本心を明かすことがないその心。

それが底が見えないほど薄暗いのだと相手に知られてしまったとき、その人のことをいとも冷たく突き放してしまう。そしてその殻を固く閉ざしてしまう。

野添ひとみは沢山の映画で共演した川口浩と結婚し、そして夫婦ともに短い生涯を終える。

僕にとっては永遠に謎の女優だ。


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by k_hankichi | 2018-09-30 12:52 | 映画 | Trackback | Comments(2)

正義を貫く物語

久しぶりにマンガを読んだ。柳本光晴による『響』。映画の原作で、手にしたのは映画の内容のその後だ。

鮎喰響は総理大臣候補の人と対峙する。そしてまた相手の生半可な対応に異を唱えて騒動が起きていく。

相手は違えども、毎回似たような展開になっている。

それは響が正しいと感じ考えることを全うするからだ。純粋千万なのだ。

人は往々にして、世の中の欺瞞や虚偽、不当な圧力と権威の傘を借りる行為に接しても、屈したり、丸め込まれたり、泣き寝入りしたり、黙り込んだりする。

それらに対して響は、断固として自己を貫き、正しいと思う行動をし、自己を発露させていく。アンチテーゼだ。

これからも目が離せない。


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by k_hankichi | 2018-09-29 10:05 | | Trackback | Comments(2)

鮎喰響ならばこれを一喝&一刀両断しているのではなかろうか、と思った。『籠の鸚鵡』(辻原登、新潮社)。

本の帯には「著者の新たな到達点を示す、迫真のクライムノヴェル。」「欲望と殺意の果てに現れる、むき出しの人間たちの姿。」「怒涛のスリルと静謐な思索が交錯する。」とある。けれども、なかみは週刊ポストの連載小説であるかのようで、文芸作品としては物足りなかった。

『抱擁』『この世でいちばん冴えたやりかた』が良かったから、と思ってもう一冊手を出した僕が悪かったのかとさえ思った。

映画『響』は読み手にも変革をもたらし、そしてこれからは、作り手である作家、特に芥川賞作家は戦々恐々としながら、背筋をしゃんと伸ばして新たな作品を出していかなくてはならなくなった。

唯一、吉本隆明の詩が引用されていて、それだけは良かった。

「涙が涸れる」

けふからぼくらは泣かない
きのふまでのように もう世界は
うつくしくもなくなつたから そうして
針のやうなことばをあつめて 悲惨な
出来事を生活のなかからみつけ
つき刺す
しめつぽい貧民街の朽ちかかつた軒端を
ひとりであるひは少女と
とほり過ぎるとき ぼくらは
残酷に ぼくらの武器を
かくしてゐる
胸のあひだからは 涙のかはりに
バラ色の私鉄の切符が
くちやくちやになつてあらはれ
ぼくらはぼくらに または少女に
それを視せて とほくまで
ゆくんだと告げるのである
とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ


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by k_hankichi | 2018-09-28 06:41 | | Trackback | Comments(2)

どうだったと訊かれれば、中島敦の『山月記』『李陵』を、学生時代に読んだときに近い脳回路が働いた、と答えるのが良いかもしれない。

『抱擁』『この世でいちばん冴えたやりかた』(辻原登、小学館文庫)。

それほどまでに短篇としての醍醐味を味わった。一作一作、読み終えると、うおーっ、という感じて唸る。感慨して唸るのだ。

奇譚という分類かもしれないが、それだけでは終わらない。質と品位がある。中の幾つかには、ちょっと妖艶な内容も描かれていたりするけれども、その節度がまたよい。

久々に「文学」を味わった。

本の表紙絵は少女の姿なのだけれど、どことなく富島健夫の連載小説の挿絵然としていて、文学をカモフラージュした罠のようで、それもちょっと可笑しかった。


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by k_hankichi | 2018-09-27 06:30 | | Trackback | Comments(3)

夏になる前に友人から紹介されていた本があった。よく知っている作家でそれは学生時代からだった。

漸く手に入れて読み込んでいくと、いかにもこれは僕らの今を刺激する。脳を刺激するといっていい。センスの良い短篇集だ。

僕らの、という意味は、きっと恐らく僕の友人の脳も刺激されているからだ。脳の刺激は身体にまで及ぶ、と聞いたことがある。だからこれは心身に効く本というわけだ。

学生時代よりも今のほうが効く。当時はそこにあるような話のニュアンスが分からない男だった。大人の男になった。

どの作品でも交通機関を降りた駅前商店街が出てくる。そこから始まるときもあるし、部屋で男と女が逢っているところから始まるときもある。店々の並びが説明されていく。和菓子屋、靴屋、コロッケを売っている店。万年筆などのセンスのある文房具についても登場する。

そして一軒の喫茶店に入る。美味いコーヒーと美しい女店主がいる。

昔の友達と偶然に遭う。あたかも昨日まで遭っていたかのように二十年ぶりの会話が始まる。

そこにはカレーライスのメニューがあり、それは美味いカレーライスだ。食べ終えた男はくわえ煙草を吸う。

男は女を一瞬で見定め、女も男を一瞬で見定める。そこからドラマがはじまる。

『くわえ煙草とカレーライス』(片岡義男、河出書房新社)。

どの作品が良かったか。いずれの篇もそれぞれに・・・。遠慮がちの男はそう言うべきものだろうが、直球派は違う。

「春はほろ苦いのかいい」と「遠慮はしていない」という二つ。特に良かった。やはり刺激的なやつがいい。


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by k_hankichi | 2018-09-26 06:34 | | Trackback | Comments(2)

売れっ子歌手を主演に構えた学園ものの映画だろうな。と思って観はじめたら、始めの方から涙がじわっと滲んできて、椅子からずり落ちそうになった。そして、しっかりと座席に座り直し、これは気合が入った作品だ凄いことになる、と襟を正した。
『響』 →http://www.hibiki-the-movie.jp/index.html

ストーリーが進んでいくと、だんだんとわかってくる。小説家を目指す人たちの挑戦の世界が真摯に描かれている。

小説家は「創造者」。それを失って惰性で書いているのであれば、もはやそう名乗るべきではない。自分の意思に反した内容、世間受けを考えたような観点で書くことも本当の創造者とはいえない。

一方で、自分の言葉で新しいものを生み出していると感じている限り、たとえどのような批判をされようとも、それはそれだけでも意味があり、他人の評価だとか賞の受賞を逃したとかいうことに一喜一憂する必要もない。

自分で考え、自分で決め、自分で書く。人の意見に左右されない自分自身の世界。内なる声に耳を傾けることで、見たことも聞いたこともない物語が繰り出されていく。躊躇わずにそれを書き連ねていくことの大切さについても諭される。

作品を読み込む、評価する視点についても厳しい。著者の著作の変遷もしっかり把握・分析して、自分の考えとしての意見をいうこと。周囲やマスコミの評判や、噂に同調して、あたかも自分の考えであるかのごとく作品のことを語るのもあり得ない。そのことも問いかけてくる。

「創造」ということの本質を、現代社会の風情のなかで真っ正面から捉え描いていて極めて痛快で、そしてまた、新たなあらたな世界を生み出そうとする作家たちの姿には涙を幾度も拭わさられた。

ストーリーが終わるのが名残惜しいと久々に思う、素晴らしい作品たった。

主演の平手友梨奈という歌手のことは、初めて知ったけれども女優としても秀逸で、こういうひとが未来を拓いていくのだろうということを理由なく思った。芥川賞を何年間も狙って書き続ける作家役の小栗旬も、味がある演技で良かった。

■作品名: 『響 -HIBIKI-』(2018年)
■監督: 月川翔
■出演: 平手友梨奈、アヤカ・ウィルソン、北川景子、高嶋政伸、小栗旬、柳楽優弥、吉田栄作
■主題歌: 『角を曲がる』(歌: 平手友梨奈、作詞: 秋元康、作曲: ナスカ) 
 →歌詞も素晴らしい。(http://blog.livedoor.jp/akbg_kashi/archives/77556039.html



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by k_hankichi | 2018-09-25 00:13 | 映画 | Trackback | Comments(9)

市川にあった映画撮影所

こんなに身近なところに映画撮影所が嘗て有ったとは。学生時代に、自宅から駅まで毎日往復した路のすぐ脇だった。

朝日キネマ・市川撮影所は、市川の真間の丘の中腹にあたるなだらかな斜面と、そしてその裾野の平らな場所に拡がっていた。昭和3年ごろのことだ。映画会社は昭和10年代前半で活動を停止しているらしいが、事業が成功して拡大していれば、松竹・蒲田や東宝・砧スタジオのようになっていたかもしれない。

現在は、住宅地やら芳澤ガーデンギャラリーというアート関連施設が立地している辺りだろう。

もはや何の片鱗も残されていなくても、何だか胸の奥が温かくなった。

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by k_hankichi | 2018-09-24 00:29 | 街角・風物 | Trackback | Comments(5)

蓮實重彦さんの映画講義を読むと、ロバート・アルドリッチ監督が如何に新たな世界を切り拓いてきたかを知る。

しかし僕はこの監督による作品を劇場に観に行ったのは、『北国の帝王』しかない。手帳を見ると1973年12月(中学2年生のころだ)、場所は当時霞ヶ関にあった久保講堂と書いてある。このほかはテレビで『特攻大作戦』(1967年製作)を観ていたくらいだ。

ああ何と無為な数十年を過ごしてきたのか、と落胆していた。

そんななか漸く足を運ぶことができたのは、国立映画アーカイヴ(旧称・東京国立近代美術館フィルムセンター)の、ぴあフィルムフェスティバルの最終日。
http://www.nfaj.go.jp/exhibition/pff201808/#ex-23068

『突撃(原題: Attack!)』(1956年)を観ることができた。

出演はジャック・パランス(ジョー・コスタ中尉)、エディ・アルバート(クーニー大尉)、リー・マーヴィン(バートレット大佐)。

このフェスティバルのwebには次のような説明。

「無能で卑劣な上官のために犬死にしていく兵士たち。かつてない痛烈な反戦映画故に米陸軍は撮影協力を拒否し、ヴェネチア映画祭では米大使が抗議をする。兵士たちのそれぞれの決意が美しい。」

ジャック・パランスが小隊を率いて突撃していく勇気と決断は本当に素晴らしく、それに対比してエディ・アルバートは、臆病そのもののが歩いているような卑屈な人間。その上司のリー・マーヴィンは自分の出世しか鑑みない利己主義だ。

ジャックは、部下たちを見殺しにしてきたエディへの憎悪と怒りを解放することが出来ないままに死にゆくが、その顔はこれでもかというほどに歪み、こんな凄惨な顔つきは、戦争ドキュメンタリーの記録映像以外では観たことがない。

そんななか、もう一つ僕の心を突いたのは、エディの演技だった。小心さ、幼稚さ、わがままさ、地位を嵩にしたふてぶてしさと、そして小賢しさ。

『ローマの休日』でグレゴリー・ペックの相棒のカメラマンをやっていた剽軽な彼は、どうしようもなくダメで体たらくで使い物にならない人間、軍の上官などとはまったくもって正反対なまでの役を見事に演じていた。

小心さ、卑屈さ、幼稚さ。これは僕のなかにもある。自分に訴え掛けられているかのようで、観終えたあと、このことは堪えた。

白玉ぜんざいを食べたとき、喉元をその玉が落ちていくような気持ちがした。

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by k_hankichi | 2018-09-23 00:18 | 映画 | Trackback | Comments(2)

久しぶりにこの名前を聞いた気がする。そしてその音楽はずっと聴いていなかった。

“西島さんは髭を剃るとき、かならずブルックナーの交響曲を小さな音で流した。
「人生を感じる音楽です」西島さんは云う。「それも、人生の夜明けの音楽です」
そう云われると、そんな気がしないでもなかった。
「夜明けというなは、夜が終わることでもあります。だから、私は息子に云ってあるんです。私の葬儀にブルックナーを流してほしいと。それは終わりでありながら始まりでもある。夜明けの音楽です。そうして、私はひとつの人生を終え、次なる新しい朝を迎えるわけです」
話を聞きながら、おれはいささか眠くなってきた。悪いが、難しい話は苦手だ。それこそ、許容量を超えて、頭が受けつけなくなる。”

『電球交換士の憂鬱』(吉田篤弘、徳間文庫)は、捉えどころのない作品で、設定はいつもの吉田さんらしくユニークだったけれども、ウイットが物足りなかった。読んでいる途中からまどろんでいた。

こういうことも作家にはあるのだと吐息をついた。

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by k_hankichi | 2018-09-22 10:43 | | Trackback | Comments(2)

友人から、映画を観てから読め、と言われてその通りにした。

“それが私のアナザー・ストーリー”。

そういう感銘と共に読了した。『検察側こ罪人』(雫井脩介、文春文庫)。

映画を観おえたときに腑に落ちなかった感覚が全て払拭され、それどころか深い安堵とともに心が落ち着いていくのがわかった。

「観てから読むか、読んでから観るか」の問いにまさに答えるような素晴らしい作品だった。

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by k_hankichi | 2018-09-21 07:02 | | Trackback | Comments(2)