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迸る勢いに憧れて

“日本では女性が家を守るというような考えがあるからなのか、女性のほうが「根を張る」というイメージがあると思うが、実は男のほうがずっと社会に根を張って、守りに入って生きていると思う。女性は土が「自分にとっていらないものだ」と思ったら、自らの足で歩いて行ける、未来しか見ていない自由な獣だ。男はその足はなくて、植物にずつと近いと思う。”

こんなふうに、まえがきに書いた映画監督のエッセイを読了。園子温の言いたい放題は健在で、だからますます惹き込まれる。

『愛のむきだし』という、長い映画を観て以来、この監督の現実把握力と、未来を見据える力に感服していて、それはかなり変わった作風であるにせよ、おそらく、観ている我々のみならず、そこに出演した俳優たちにとっても生涯忘れられない経験になっているだろうことを確信できる。

満島ひかり、吉高由里子、二階堂ふみ、という、今では押しも押されもせぬ女優たちを発掘し抜擢し、育てたこの監督の力量の開花は、この先もまだまだたくさんにあることを期待する。

是枝裕和の素晴らしき構成と周到なる仕掛けも良いのだけれど、実を言えば僕は園子温の、決して万人受けしない愚直な奔放さのほうが、性に合う。

自分にその向こう見ずなほどの迸る勢いが無くなってきているからなのかもしれない。

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by k_hankichi | 2018-06-26 19:33 | | Trackback | Comments(6)

ようやく映画『万引き家族』を観た。ストーリーを知らずにいたけれども、この日本の、そして世界の世知辛い風情のなかに評価された訳が分かった。

家族とはいっても、本当の家族関係にある者は誰も居ない。誰もが傷を負っている。しかしそれでもここにある人たちは世の中の多くの家族よりもずっと家族らしいということに、観ている人たちは気づかされていく。

映画は、何らかの気配を感じ取った幼女が、ハッとしてバルコニーから目を開いて外を眺めやるシーンで終わる。

僕らは自然に気づく。それこそが「希望」という名の、淡くてしかししっかりとした心の打ち震えだということに。

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by k_hankichi | 2018-06-23 22:12 | 映画 | Trackback | Comments(4)

読み終えて、深く、そして綺麗な吐息が出る小説だった。紹介してくれたブログ友人に感謝。

『地球にちりばめられて』(多和田葉子、講談社)は、母語を忘れそうになりながらもひたむきに生きる女性の姿を描いている。今は無き地への郷愁とともにその言葉に飢えながら、ヨーロッパの地に腰を据え、しかしてその地の言語に完全に染まるわけではなく、新たな言語を作り出して、人々の合間を繋いでいく。

彼女の周りにはヨーロッパ人、エスキモー、インド人、そして同じく極東の島国から出てきた人などが現れ交流していく。

彼女が喋る言葉は、次のように表現される。

“彼女の顔は空中にある複数の文法を吸い込んで、それを体内で溶かして、甘い息にして口から吐き出す。聞いている側は、不思議な文章が文法的に正しいのか正しくないのか判断する機能が停止して、水のなかを泳いでいるみたいになる。これからの時代は、液体文法と気体文法が固体文法にとってかわるのかもしれない。”

その言葉は、ちょっとたどたどしかったり、どこの訛りなのか分からぬものが入っていたり、しかし、ヨーロッパの北の人たちが聞けばおおかたわかってしまう奇妙な簡明さを持ち合わせているという。

僕もそんな言葉を発明して、それをいとも自然に使いこなせれば、どんなに楽しいだろうか。いや、確実に身につけて使い倒したい。

メルヘンと冒険と、恋と孤独と、暗さと明るさとが絶妙に入り混じった珠玉のような小説だった。

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by k_hankichi | 2018-06-21 19:13 | | Trackback | Comments(3)

ブリュンヒルデとは、戦死した兵士をオーディンの住むヴァワルハラへ導く戦士ワルキューレの一人だったけれども、ポムセルは、戦わずして亡くなった多くのユダヤ人たちに対して、これっぽっちも自分の非を認めなかったことを知った。映画のなかに収められていなかった多くの語りとともに深く自分の心に刺さってきた。

『ゲッペルスと私  ナチ宣伝相秘書の独白(原題: Ein Deutsches Leben. Was uns die Geschichte von Goebbels’ Sekretarin fur die Gegenwart Lehrt』(ブリュンヒルデ・ポルゼル、トーレ・D. ハンセン、紀伊国屋書店)。

思考停止の罪、悪の凡庸さ、とハンナ・アーレントが言った事柄は、なにもナチスの指導者たちだけでなく、普通の党員、そして一般市民も同じようだったのだということが、痛く突き刺さる。

それは僕の心を凍らせるとともに、この先だって、自分は、同じように振る舞うかもしれないという恐ろしさに包まれる。

ポムセルは言う。

“あの時代の一部の人々を非難できるとしたら、せいぜいこんなことかしら。彼らは理想を追いすぎた。そして、ドイツが良いほうに向かっていると、あまりにも愚直に信じてしまった。ドイツ人はそれまで、とてもつつましく生きてきた国民だったから。そうして多くの人々は、権力を手にした一部の人間がきっとすべてを良い方に向けてくれると信じてしまった。それは、祖国への純粋な愛と信念ゆえだった。”(「私たちに罪はない・・・103歳の総括」より)

都度、思考ししっかりと倫理と正しさについて議論し判断していかないかぎり、僕らは必ず、思考停止の罪を犯してしまう。

そして、自分の過去を、まるで品行方正で良心のみから処していたかのように捻じ曲げて、自分の心のなかに刷り込んでしまう。自己正当化というのは、どんなつまらない生活の一部にも入り込んでくる忍び込んでくる。

バイブルのようにこのことをいつも手にしていなければ、また僕たちは、あの時代の過ちを再び犯す。

そうならないように、本当に身を律していかなくてはならない。

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by k_hankichi | 2018-06-19 06:33 | | Trackback | Comments(2)

話題は金閣寺

僕も『金閣寺の燃やし方』(酒井順子、講談社文庫)を読了。紹介してくれたブログ友人に感謝。

それにしても、あの寺の放火事件を僕はどれだけ分かっていたのか。「美への嫉妬」という切り口だけからしか見ていなかった。三島の観点からしか。

“結果的に言うならば、水上の「五番街夕霧楼」と「金閣炎上」は、三島「金閣寺」に対するアンサー、ということになるのだと思います。金閣寺が燃えた時に水上が感じた、「林養賢は自分だ」という感覚と、三島「金閣寺」において描かれた小僧の像は、全く違うものだった。その落差があまりに大きいものであったからこそ、水上は金閣寺にまつわる二つの作品を書いたのではないでしょうか。”(「金閣寺」より)

放火犯の林と同じく日本海側の若狭湾に面した場所で生まれ、寺の小僧として修行せざるを得なかった水上。彼らは同じく京都の寺の徒弟として出され、京都を大事にして生き伸びざるを得なかった。選択肢のない生き様。

水上の金閣寺を読まねば、全体が解けない。

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by k_hankichi | 2018-06-17 06:45 | | Trackback | Comments(4)

茫然として観終えた。そしてそのあとも、ただただ茫然としていた。『ゲッペルスと私』@岩波ホール。

全世界の人々が観る。そういうことを課す。

なにを言われようとも、なにを反発されようとも批判されようとも、肯定されようとも熟考されようとも、議論に持ち込まれようとも無視されようとも。

全世界の人が、人間としての義務として観る。

人が人であるために、その人が明日からも考えるために。

そういう映画だった。

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by k_hankichi | 2018-06-16 13:09 | 映画 | Trackback | Comments(3)

モネの睡蓮の連作が描かれたジヴェルニーを訪れたいと思う気持ちはあれども、是が非でも、というわけではなかった。それが別の切り口から後押しされた。『黒い睡蓮』(ミシェル・ビュツシ、集英社文庫)。

ジヴェルニーの村に住むのは、なにもモネとその一族だけだったわけではない。画家やそこ取り巻きに惹かれているわけでもなく、その田舎町から出られずに淡々と生きている人々もいるのだ。観光客の大群の来襲に遭いながらも、それぞれの人生、それぞれの毎日を積み重ねていく。

そんななかに起きた殺人事件。どうして眼科医は殺されたのか。目撃したのは誰かは知っている。それなのに犯人は誰なのかが一向に分からない。

読了したとき、僕は愛憎というのは斯くも深いものなのか、と感慨した。そして、夢と希望とがその裏に秘められた『黒い睡蓮』の絵をどうしても観てみたくなった。

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by k_hankichi | 2018-06-13 09:16 | | Trackback | Comments(6)

穂村さんの第四歌集が上梓されている。勿体ないから、まだ少ししか読んでいない。

本の題名は、子供の頃に憧れていた乗りから付けられている。学習雑誌や絵本のなかに未来の乗り物として描かれていた記憶。

僕も思い出した。小松崎茂による空想科学イラストの数々。

いくら眺めていても飽きない。あの引き込まれて未来に導かれてゆく感覚。浮遊しているような、催眠にかけられていくような感覚。

また、あの世界に僕も入り込みたくなった。

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by k_hankichi | 2018-06-10 23:38 | | Trackback | Comments(6)

まずは前作を観た

今年のカンヌ映画祭のパルムドールを受賞した作品を観に行きたかったが、その前に前作を観ておいたほうがよいと思い立って、レンタル店で借りた。『三度目の殺人』(是枝裕和監督、2017年・東宝)。

食材会社の社長が、そこに勤めていた男に殺された事件が題材になっている。犯人は30年前にも人を殺しているので二度目だったが、どうして三度目という題が付いているのか、一度観だけでは分からない。

主人公への判決言い渡しでストーリーは終わるわけだけれど、殺人を犯すに至った原因の女が居て、その人は真の意味で救われた訳ではない。

煮え切らない作品はどうも苦手だ。

■犯行現場は川の河畔という設定。そこは僕も行ったことがある場所だったのでびっくりした。
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by k_hankichi | 2018-06-09 19:27 | 映画 | Trackback | Comments(4)

ガラパゴス化を想う

中国に来るたびに驚くのは、その成長スピードと新しいものを取り入れ展開する速さだ。

コンビニエンスストアシステムの充実度は、日本の上をいくかもしれない。イートインのスペースもしっかり備わっている。店舗の棚の出で立ちは日本のそれと瓜二つ。食い物の種類は微妙に異なれども、だいたいのものの味は推測がつく。

街角での買い物や同僚たちとの食事会では、紙幣のやりとりは最早無い。ウィーチャットというスマホのアプリで、其々の口座から互いに支払いをしてしまう。日本だと実際の金銭が飛び交うはずのものが、こういうやり取りだと生々しくなくて、却ってわだかまりが無い。

極東の島は本当にガラパゴスなんだと、つくづく感じいった。

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by k_hankichi | 2018-06-07 09:11 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)