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音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

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唸ってしまうクラシック音楽の入門解説書
クラシック音楽の入門解説書は、あまたに有るが、経験に裏付けされた独断と洞察は非常に面白かった。実用的にためになり、かといえば音楽評論家の書くものよりは蘊蓄は薄いので我慢できる。さらに値段も手頃だから万が一肌が合わなくても諦めもつく。『クラシック音楽とは何か』(岡田暁生、小学館)。

次のような感じだ。

“古代バビロニアで囚われの身になっているユダヤ人たちが祖国を懐しんで歌う、ヴェルディの《ナブッコ》の有名な合唱曲〈行け我が想い、黄金の翼に乗って〉(第三幕)を聴いてほしい。曲の途中で、客席から突如として感極まった「イタリア万歳!」の叫び声があがる。演奏はまだ続いているというのに、お構いなしに大騒ぎが始まる。(中略)前奏からしてオーケストラは、一回目よりもさらに気合いが入っている。冒頭のトゥッティ(総奏)によるフォルテシモの一撃など、全員が渾身を込めて「どうだ!」とばかりにポーズを決めてくれる。ほとんど郷土芸能の世界である。”(「オペラは「クラシック」じゃない?」より)

1949年のナポリにおけるマリア・カラスが主演したサン・カルロ歌劇場オーケストラによるライヴについてのもの。ガラの悪いイタリアオペラファンの素性を聴くためだけにでも価値のある録音としている。

ついでに言えばイタリアオペラは日本でいう演歌であり、だから演歌が嫌いな人には肌に合わないものだと書いてあった。ようやく安心した。


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by k_hankichi | 2018-04-20 07:19 | | Trackback | Comments(4)
珠玉の短篇とはこういう作品かもしれない
珠玉の短篇とはこういう作品を言うのかもしれないと思った。『ゴットハルト鉄道』(多和田葉子、講談社文芸文庫)。

出だしから引き込まれる。はじめ凄くて中がパッとしないやつもあるわけだけれど、この作品は違った。

“ゴットハルト鉄道に乗ってみないかと言われた。ゴットハルトという名前の男に出るくわしたことは、まだない。ゴットは神、ハルトは硬いという意味です。古い名前なので、もうそういう名前の男は存在しないということかもしれない。そういう名前の男は見たこともないのに、この名前を初めて聞いてから三分くらいすると、ある風貌が鮮明に浮かびあがってきた。針金のようなひげが顎と頰に生えている。唇は血の色をしていて、その唇が言葉も出ていないのに、休みなく震えている。口をきこうとしない男。目は恐れと怒りでいっぱいで、打ち砕かれる寸前のガラス玉のよう。”

こんな文体で小説の一つ二つを書いてみたくなった。

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by k_hankichi | 2018-04-17 08:59 | | Trackback | Comments(4)
「未来」に「希望」を託し「発展」したい
「未来」に「希望」を託し「発展」する、というようなことが、夢の話やら昔話にならないようにしなくては、と思った。「偽善と自己保身」「利権と私利私欲」がテレビ画面に蔓延している様を見ていると、第一義の「真摯と品行方正」が茫漠と霞んでいることに気づくからだ。

共同してしっかりと正しく仕事にあたる。そうしないとお天道様が見ているぞ。そんなモヤイ像の声が聞こえてきた。

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by k_hankichi | 2018-04-16 07:10 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
呟く言葉に思わず驚く
街角を歩いていて、知らずうちに自分だけに聞こえる小声で呟いているときがある。その思わず呟いた言葉に驚き、もう一度それを小さな声で反芻していたりもして、その延髄反射的な出来事と其処から立ち昇る記憶が、ほんのり甘い砂糖菓子のような余韻をもたらす。そういう言葉の発現があったことに思わず口元が緩んだりもする。

「みどりちゃん」・・・制服が緑色の女子小学生を見ての言葉。駅前に停まった車からドアを勢いよく開けて飛び出してきた。中学時代に学友が名付けた言い方だった。

「ヒエロニムス」・・・毎朝の通勤電車の定位置の車両で、座席に座りながら眠っている人の顔を見ての言葉。口をパックリまあるく開けて上を向いて寝ている。

「カッパドキア」・・・新宿駅JRと小田急の南口の線路。甲州街道の下に巨大に広がる、沢山の柱で支えられた薄暗い回廊を見るたびに。

「ヤサグレ」・・・よく立ち寄るコンビニエンスストアの朝番の男の人。夜通しの仕事に疲れた風情がえも言えぬ。

Spontaneousな言葉の発生を愉しむ朝だ。

■「ヴェニスの水面」・・・通勤で多摩川を見るたびに何故か想う。
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by k_hankichi | 2018-04-13 06:37 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
粋な日本語を喋りたい
読み始めた本がどうもいつか読んだような気がして、しばらくしてそれは始めの出版時から題名が変更されてすこし改訂増補されたものだと分かった。『小津映画  粋な日本語』(中村明、ちくま文庫)。その原著は『小津の魔法つかい』(明治書院)。

それでも結構楽しめて、それは読んだ内容を人は如何に忘れるかということを証明するプロセスのよう。一連の小津映画が登場人物や背景の設定を少しずつ変えながら、繰り返し作り上げられるように、人の記憶は常に薄れまた書き換えられてそれが続いていくかのよう。

小津作品にほぼ必ずでてくる言葉についての紹介も、読んでいると改めて感じ入る。「ちょいと」のような言葉のリフレインはリフレイン以上で、それはあたかも音楽的に必要な和声の一部なのだとわかってくる。

「『晩春』では、曾宮周吉が「ちょいと見といでよ」と言い、その娘の紀子も、「いつ?」という父の問いに「お昼ちょいと過ぎ」と答える。翌年の『宗方姉妹』でも、真下頼子が「ちょいと・・・お客さまお帰りんなったら、カトレアへお電話頂戴って」お店員に呼びかけて伝言を依頼するし、宗方家の次女の満里子も「でも、ちょいと本気なとこもあったんだ、へへへ」と照れ笑いをもらす。(中略)『お茶漬の味』でも、雨宮アヤに「どっか行くの?」と聞かれた節子が「ええ、ちょいと」と応ずるし、特にヒロインの佐竹妙子などは、「じゃ、ちょいと旦那さまに断わっとこう」「いないのよ。ちょいと前、お客さまと出かけたんだって」「うん、ちょいとあぶなかったけど」「ちょいとお丼」というふうにわ「ちょいと」を連発する。その翌年の『東京物語』は、まさに「ちょいと」の花盛りで、ちょいと壮観である。(中略)長男の幸一も「ちょいと心配な子供があって、急に出かけなきゃならないんですがね」と上京してきた父親に訳を話して往診に向かう。「おれも困ってんた」とか、「おかあ、汽車ン中で、ちょいと具合悪くなって、大阪でおりたそうだけど」とかと、妹の金子志げに言い、尾道に駆けつけた際にも、「お父さん、ちょいと」と周吉を隣の部屋に呼び出し、医者の立場から母親とみの容態を告げる。」

つぎのような一節がいつまでも心の底に残ってこだました。

“カメラマンの荒木経惟は、小津映画についてこんな感想を述べている。どの映画も同じことのくりかえしで、出てくる飲み屋も同じだし、どれもちゃぶ台のある場所に人が集まるから、作品をいくつ見ても、どれがどれやらわからない。だが、作品は人の往来なのだと気づいたという。人のいない画面をまず映し、そこに人が現れ、立ち去っていく。つまり、無の中に有を表現し、消えてしまう。小津は人の去ったあとの画面を二、三秒映し、そこに「もののあはれ」を漂わせるのだという。」(「二  季節ににじむ哀感」より)

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by k_hankichi | 2018-04-12 07:17 | | Trackback | Comments(6)
銀座の風呂の物語
このあいだ成瀬巳喜男監督の映画『銀座化粧』を観て、その中で銀座6丁目の三十間堀跡に出来た東京温泉の実物を目の当たりにして嬉しがっていた。こんどは昭和史エッセイのなかにそれがあり、益々興味津々になった。『ぼくの東京全集』(小沢信男、ちくま文庫)。

“そしてこの三十間堀跡には、すでに大衆のための壮大な温泉デパートが出現して、一風呂百円の湯銭をとっているのである。私は少女を伴い、そこの中央玄関を入れば、白ズボンの背高ボーイが「いらっしゃいませ」と一揖するのだ。けれども、私は私の乏しいカネと度胸にかけて誓って言うが、この東京温泉の同伴風呂に、彼女を連れ込む魂胆があるわけではない。銀座六丁目の端から端に至るあきれてながいこの建物の狭い廊下を、ただ、通り抜け(デパートというからはひやかしに入ってもさしつかえないわけだろう)屋上に登ってあたりを見晴らすだけなのである。”(「新東京感傷散歩」から)

うーむ。なんとこの場所にカップルで入る風呂があったらしいことは他の書から薄々感づいていたが、ここまできっぱりと記載してくれていて、改めて吃驚した。

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by k_hankichi | 2018-04-11 06:42 | | Trackback | Comments(3)
不機嫌な人々の時代

「不機嫌な人々」が多くなった、とブログ友人がこのあいだ書いていた。確かになあ、と思った。僕にも経験がある。知人同士の場合は大変丁寧なのだけれど、一旦その枠から外れたとたん、相手に対していかにも不機嫌に接する人たちが増えた(ように感じる)。


・家電量販店の店員に食って掛かっているひと(品質保証書の範囲内でしか対応されませんよ)。

・満員電車でぎゅうぎゅうなので、押されていると、逆に小突いてくるひと(ストレスで病気になりますよ)。

・独り言をずっと呟いて怒っているひと(確実に怖いである)。

・居酒屋で料理の出し方が遅くて「もう二度と来ないから」と、お客さんが沢山いる店内に向かって、大きな声で捨て台詞を吐いて出て行くひと(いま食べている僕らの気持ちはどうなるの)。

・交差点の右折で少しもたついていると威嚇的な運転をしてくるひと(そのうちぶつかって事故になりますよ)。

・飛行機でサービスが悪いと怒るひと(ナッツリターンという事件もあったなあ)。

・事故で遅延した鉄道で駅員に食って掛かって言い続けるひと(その時間に自分で善後策を打ったほうがよいのになあ)。


権利を主張し、苛立ちを隠さず表明し、自己の正当性を言い、他者を押し退け、相手が同じ人間なのにモノのように見做す。


一方で、その真逆の人たちも増えたようにも思う。如何なる出来事に遭遇しても無関心を装って貫く人たちも。呆れ顔やら驚いた顔はしてみせるものの、僕もそういう一人になっている。


竹中直人はそんな時代を先取りしていたかもしれない。「怒りながらも笑った顔でいる人」だ。これからは「不機嫌でも温和な顔」をすることにしていれば、次第に不機嫌さは消失して、本当に温和な人々の集まりになっていくかもしれない。祈りの世界だ。


■朝に静かに佇む男
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by k_hankichi | 2018-04-10 06:40 | 社会 | Trackback | Comments(4)
「群衆の時代」はまだ続いている
「群衆の時代」はまだ続いているのだと思った。読み始めた映画評論集『映画とキリスト』(岡田温司、みすず書房)のなかで、著者はイエス・キリストを罵倒したり石を投げつけたりする群衆、あるいは兵士たちによってキリストが拷問されることに歓喜をあげる群衆に関して、次のような一節を引用している。

“それよりも関連が深いと思われるのは、フランスの心理学者にして社会学者、ギュスターヴ・ル・ボンによる「群衆心理」をめぐる議論である。1895年に上梓されて大きな反響を呼んだ同名のタイトルの本のなかで、著者は、到来しつつある時代を「群衆の時代」と名づけ、操縦者や先導者によって暗示誘導されるようになる群衆の心理にメスを入れたのだった。感染、衝動、過激化、反復、同一化といった概念がル・ボンの分析においてキータームとなるが、まさしくそれらはデュヴィヴィエ作品においてイエスを十字架にかけろと叫んだ「群衆」に当てはまるものなのである。”(「II  サイレントのイエス」より)

僕たちは、大概において操縦されている。政治家たちだけでなく官僚。そして時代のファッションを創る人々、さらに報道者たちによって。

イエス・キリストの磔に同意してしまったのは群衆。そこに導いていったのは施政家たちであり、最たる悪はそこにあるだろうにも関わらず、結果的にその悪を見破れず糾弾できずに同意した。

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by k_hankichi | 2018-04-09 07:51 | | Trackback | Comments(3)
ホロヴィッツの魔法の指先
ロシアに生まれ育ったホロヴィッツが61年ぶりに祖国に帰国してモスクワで開いたリサイタルのDVDを買い求めて演奏を見たとたんに椅子から転げ落ちそうになった。

ピアニストは肩肘を全く張らない。それだけではなく、両手は鍵盤と平行に、そして極めて近接している。

その指先は鍵盤の上を左右に動くだけで魔法のようにそこから音が発せられる。指先は白鍵黒鍵を叩いているはずなのに、その素ぶりが見えない。

いったいどうやって音が出ているのか分からないようなふうで、布巾で鍵盤を撫でつけているかのような軽い動きなのだ。

その指先からスカルラッティが流れてくる。友人が兼ねてから言うイタリアの古い家具(椅子)のような響きで、そのピアニシモの美しさといったらない。

ホロヴィッツに改めて恐れ入った。もっともっと聴いていきたい。

■収録
1986年4月、モスクワ音楽院大ホール
■音盤
ソニークラシカル  SVD64545

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by k_hankichi | 2018-04-08 20:06 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
虚心が作り出し溶けあうバッハの響き
「不滅のバッハ伝道師」という副題がついたムック本の表紙に誘われて買い求めていて良かった。『カール・リヒター』(KAWADE夢ムック)。よく見ると「永久保存版」「生誕90年記念」とまである。様々な媒体に発表されたり記事にされた小編の数々で、それは読み応えがある。

しかしやはり珠玉なのは、皆川達夫によるリヒターへのインタビューだ。1969年にただ一度来日した際の記録はとても興味深々。

リヒターはミュンヘン・バッハ合唱団を設けてそれによって数々の演奏をしているが、その心を尋ねたものだ。

“専門のソリストになるように教育された人の声は、コーラスの声として、必ずしも最上の望ましい声とはいえないと思うのです。むしろ、俗にいうアマチュアの方が、はじめはおっかなびっくり歌っていますが、一生懸命に勉強しますし、虚心に全体にとけあおうと努力もいたします。全体的にまとまった合唱団を作りあげることが可能になるわけです。”

あの音楽の、あの響きの素晴らしいさの理由のひとつが分かった気がした。

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by k_hankichi | 2018-04-07 14:59 | | Trackback | Comments(3)