<   2018年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧

『雨の日はソファで散歩』(種村季弘、ちくま文庫)は楽しめた。ご自身では徘徊老人日記と称しているけれども、その行動範囲は広い。場所だけでなく過去の記憶とその深さの範囲も広い。だからそれは徘徊ではなくて逍遥なのだ。

戦後間もないころの新橋駅前の川は、生活用水が流れ込まず深山幽谷の清水同様に澄み切っていて、土橋のうえから水底に白魚が見え、それが手づかみで捕れそうだったということに驚いたりもする。

途中でいきなりほかの人の文章が挟み込まれていて、その新鮮さに改めて感じ入ったりもした。

「例えば資生堂の一階の席でそこの細長い窓の前を通っている横丁を越して向うを見ると同じ化粧煉瓦を使った様式の資生堂の別な建物があってそれが大正期の日本でなければ建てられはしなかったものであることが解っていながらそれを背景に横丁の鈴懸けの並木が舗道に影を落としている具合が必ずしも日本とは思えなくなることがあった。」

資生堂の対面にまた資生堂があったのか。そうか。そうなのか。吉田健一の『東京の昔』からの抜粋に、心地よい吐息をつく。

c0193136_12090717.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-31 12:04 | | Trackback | Comments(5)

半分騙されたような形だが自分が悪かった。「売れてます! これはびっくりした  すごい勉強になる  超わかりやすい  絵画鑑賞が楽しみになった  驚きの連続!」とまで帯にあれば、ヤバい若しや乗り遅れているのか?と思うのは無理もない。

絵画の裏話をしっかりと紐解いてくれている、と言いたいところだけれど、なにか物足りない。どこかでこの感覚に浸ったことがあることまで思い出した。

「なぞなぞ大じてん  小学2年生7月号ふろく」。

それはないだろう。これを読むことで、絵画の世界の奥深さに触れるということは出来るわけだから意味はある。と自答した。

『名画は嘘をつく』(木村泰司、ビジュアルだいわ文庫)。

c0193136_19170671.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-30 00:21 | | Trackback | Comments(2)

九割五分の疎外感の恍惚

友人から紹介してもらった映画評論集は手強かった。九割五分は観ていない作品で、しかしそれでもとても楽しめるのはやはり著者ならではの造詣によると思った。『映画の中にある如く』(川本三郎、キネマ旬報社)。

どうしてそんなに記憶しているのですか、と訝しくなるほどに、作品を良く観ていて、さらにBGMの音楽までも知り尽くしているから、読む方はもうタジタジになる。

ああ、あの作品のあそこにはそんな曲が流れていたのか、と教えられてまた観たくなる。原作の文学作品までをも読んでいて、この人は一日が48時間あるのだと確信した。

c0193136_22001623.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-29 00:40 | | Trackback | Comments(2)

『須賀敦子の本棚』(文藝別冊、KAWADE夢ムック)は彼女の作品と足跡、そして人となりというものを様々な切り口から描いたもので、その編集姿勢は清々しく、心地よい一冊だった。

そのなかで次のような記載があって、ハッとした。

“・・・自身はそのころ、賢治が好きだったと書いています。
松山: 賢治は彼の詩のリズムが好きだったようです。つまり『銀河鉄道の夜』が好きだとかそういうことは言っていません。「雨ニモ負ケズ」が好きかというと、そういうことではない。賢治独特のリズム感なんです。詩は好きだけど、さて誰が好きだったのかな。「西脇順三郎は馬鹿ね」と言ったのは覚えています。イタリアに来てテレビで「自分はもうすぐノーベル賞をとる」なんて喋って、馬鹿なことを言ってると思ったって。”(「須賀敦子はどんな作家が好きだったのか」[松山巖]より)

ああ、こういう言い方をする親友のことを僕は良く知っている、と思った。

大詩人西脇を本当に前にしたとしても、おそらくはタジタジにさせてしまうだろうこの明朗奔放さ。憎まれない人柄だ。

c0193136_20450175.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-28 06:27 | | Trackback | Comments(3)

花曇りの空の下で

東に西にと桜前線沿いに動き回っている。うっすらと雲が掛かったような按配の空は、花粉なのかPM2.5なのか良く分からないけれども、間違いないのは日本中が花見に浮かれていること。証人喚問やら株価下げのあれこれはその酒の肴になること請け合いだ。

そんななか、やはりこのことは重く頭に肩にのしかかる。冷静に考えてみれば花見や証人喚問や株価どころではない訳で、薄曇りの空が隅々まで快晴になるような清々しい状態まで折り合いをつけることにこそ注力すべきと思った。

c0193136_10191080.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-27 10:08 | 社会 | Trackback | Comments(0)

東京に戻って見つけた春

北の地はまだ桜の気配もせず、少しずつの暖まりを待っている。外套は要らなくなりつつあるから、もう間もなくだとは思うのだけれど、兆しはどこに探せば良いのだろう。

答えのない問いの答えを探すような按配で、そんなままでいたら春など見つからずに、あっと言う間にまた夏、そして冬と移ろうのかもしれない。

そんなことを考えていたら、季節の移ろいというのは欧州ではなかなか難しい、ということを嘗て聞いたことをいきなり思い出した。

万葉の時代からの豊かな季節に恵まれたこの国の幸を改めて気づいたのが、旅先から戻っての春真っ盛りの東京だった。

c0193136_08235567.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-26 21:20 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)

いつか、ケーテンの地へ

バッハのことを幅広い視点からしかし端的に看破し云い当てたなあ、という感慨に満ちた書だった。ようやく読み進めた『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(磯山雅、講談社学術文庫)。

“たいていの音楽家の場合には、オルガンという雄大な楽器がその人の個性を圧倒し、その人の人間的息づかいは、楽器の普遍性の前に、吸収され平均化されてしまう。このためオルガン音楽は、いきおい、抽象的な傾向を帯びてくる。ところが、バッハはみずからの個性によってオルガンを使いこなし、オルガン特有の超越性を、彼独自の人間的な表現意志と一体化させた。(中略)バッハのオルガン曲は、ヴェルクマイスターのいう「神の秩序の似姿」であり得ると同時に、ミスロコスモスとしての「人間の似姿」の最上のものである。”(「3. オルガンに吹きこむ、人間の生命力」より)

かと思えば次のような紹介もある。

“旧東ドイツ地域を訪れる人の多くなった今日でも、ザクセン=アンハルト州ケーテンに足を延ばす人は、決して多くない。ガイドブックにも掲載されず、観光ブームのスポットも当たらない人口三万の小都市、ケーテン。この町は、ハレの北方三十キロほどの田野の中にひっそりとたたずんでいる。立派な双耳塔をもつ聖ヤコブ教会を中心とした市街地も、どこか閑散とした、寂しげな趣である。”(「5  幸せなる楽興の時」より)

こう書かれては居ても立ってもいられなくなる。是非とも訪れたい。なんでも、バッハ・ザールというものも公開されているらしい。CDか何かの解説書かDVDか、どこかで見たことがあるホールだ。フェルメールの絵のような外光が作る陰影が素敵に思えてならない。いまにも平均律の旋律の響きが聴こえてきそうな按配だ。

c0193136_08315411.jpg

c0193136_08323695.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-25 08:07 | | Trackback | Comments(4)

桜はどこにあるのかと

バタバタとする日々が続いている。桜が開花してもう満開だと知ったけど、ええもうなのか、ちょっと待ってくれよと思うほどだ。

毎日のように東京に行っていて週末も足を運んでいるのに、花を愛でる暇もないから、どうも腹の虫の居所が悪い。

先週の仕事の最後のほうでノルマンディーの街で、美味くて安いビストロで管を巻いて居たのが嘘のよう。

c0193136_23461775.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-24 23:44 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)

終点まで乗ってみたい電車に出会った。なにしろそれは1号で、行き先は日本一の山である。

その山に登って天空を味わいたいという人たちと、あんな山に登るなんて詰まらない見るだけで充分さという人たちが居て、僕はもちろんそのどちらかなのだけれど、そういう無駄な議論は別としても乗らざるを得ない気持ちに駆られる。

「特急 ふじさん1号」発車オーライ。行ってきます!

幼稚園児の心境である。

c0193136_07025160.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-23 06:40 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)

読み応え満載の第一級の映画評論集で、僕はもうここに、紹介されている作品を片っ端から観たくなった。毎週一本観たとしても二、三年分はあるのではないか。観終わらないうちに心身にガタが来てはならない。だから用心して飲食もほどほどしなければ、とまで思う。そしてまた、こういう素晴らしく身のある文庫を次々と送り出す筑摩書房の編集者たちの凄腕ぶりに感心する。

『文豪文士が愛した映画たち』(根本隆一郎編、ちくま文庫)。

読むことで垂涎状態に陥り、早く観たいと憔悴状態に陥る。二重苦から完全に解放されるのはいつになるのだろうかと途方に暮れる朝だ。

c0193136_06541629.jpg


[PR]
by k_hankichi | 2018-03-22 06:43 | | Trackback | Comments(2)