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音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

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その南蛮漬け、何晩漬けたの?
その南蛮漬け、何晩漬けたの?

家で作ってくれるたびに、そういう駄洒落を毎回言って、都度、無視されるようになったのは、もう、足掛け30年になるかもしれない。

居酒屋や割烹ではそんな駄洒落は言えないから、黙って頼んで出されたら黙って食べている。

しかしこの南蛮漬けは違った。

そういうことを言う言わないの考えが思いつかない。今まで食べてきたどんな南蛮漬けとも違った。

柔らかさという境地とは無縁で、しっかりと歯ごたえがある。少し柔らかな燻製か干物を口にしているかのような感が一瞬頭を過る。しかしそういうもの特有の香りは無くて、かと思えば唐揚げの油感がするかと言えばそれは全くない。

旨味が沁みている。それが沁みて出してくる。

さかなの肉は硬めに締まっていて、ちょっと妖艶なことを思い浮かべてしまうほどで、そんな気持ちにさせられればさらにグイッグイッと噛み締めたくなり、すると適度の弾力をもって反発しながら自分のなかでそれは解けて行く。

魚の肉の旨味が全て凝集されたその盛り合わせは、それだけでもまた来て食べたくなる。

きっと何晩も何晩も漬けたんだろうなあ。

■京都・八条口「佳辰」の南蛮漬け
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by k_hankichi | 2018-02-28 07:38 | 食べ物 | Trackback | Comments(3)
本当のパリっ子とは?
堀江敏幸の小説やエッセイ集にこのひとのことが、よく出てくるから気になって読んでしまった。『パリはわが町』(ロジェ・グルニエ、みすず書房)。

パリの街角の記憶が盛りだくさんに溢れるエッセイ集だった。こんな記載もあって、ロジェはパリうまれではないことを知る。

“夫アンドレが出征しているあいだ、妻の健康状態には不安が生じていた。パリを離れないと、死ぬかもしれないといわれたようだ。そこで1916年、彼女はランビュート通りの店を売って、カーンでまた眼鏡店を始める。

作者ロジェ・グルニエは、このカーンで1919年9月19日に生まれることになる。”

そして冒頭では次のようにも書かれている。

“けれども、わたしの町ということになれば、それはパリである。本当のパリっ子とは、別の地で生まれ、パリで生きるのが征服することであるような人間をいうような気がするのだ。それには、セーヌ河にかかる橋を渡って、目を見はるだけで十分だ。”

なんと明るく開き直った境地なのだろう。京都洛内生まれではなく洛外だということに卑屈になる詰まらぬ本とは大違いだ。

フランス人はパリに関しては屈託ないのだと分かって何だか更に肩が軽くなった。

春になったら、ロジェの生まれた地をも訪れる機会がありそうなので、これも楽しみの一つに加わった。

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by k_hankichi | 2018-02-27 07:20 | | Trackback | Comments(3)
宇野功芳の真髄に触れつつある
オリンピックの熱気も明けて、ようやっと静かな日々に戻ろうとしている。昨晩読んだのは『宇野功芳の軌跡』(宇野功芳、音楽之友社)。これは素晴らしい一冊だった。と同時に僕のこの人に対する尊敬の念を二重にも三重にも深めるものだった。

中学から大学にかけての10年ほどは、僕は彼の音楽評論に共鳴し、呼応してブルーノ・ワルター三昧に陥ったのだけれど、それは彼のごく一面に過ぎず、合唱指揮者としての存在がまさに確たるものとしてあったということの詳細をようやく知った。

「僕の合唱指導法」という篇からは次のようにある。

“僕がKTUで一番重視したのは音色。音色は今でも言いますよ。よその合唱団を見ていると、音色の変化はほとんどない。音色というのはどういうことかと言うと、たとえば〝春〟という言葉があります。〝はかない〟という言葉があります。〝はかない〟の〝は〟と言った時に、これはなんの〝は〟なのか、わかるような声じゃなきゃいかんということです。そう言うと、わかりいいでしょ。あっ、これは〝春〟の〝は〟じゃなくて、〝はかない〟の〝は〟じゃないかって。〝愛する〟の〝あ〟、赤いの〝あ〟、甘いの〝あ〟、いろいろな〝あ〟があるわけど、〝あ〟って言った時に、これは愛するの〝あ〟じゃないかってお客さんが気づくような〝あ〟じゃなきゃいけないんだよって。それが出来るようになるまで徹底的にやらせるんです。それが出来ると凄く褒めるわけ。さびしいの〝さ〟なんて、それはもうさびしそうに歌って。それは〝さくら〟の〝さ〟とも、〝さとう〟の〝さ〟とも違うわけです。それをやると、みなものすごく上手になりましたよ。”

読みながら、うーむ、うーむと深くうなづき本当に感心した。さらにまた、ここに紹介されているKTUというのが都立小松川高校・定時制の合唱部のことだと知り、ひときわ親近感を持った。僕の母はここの全日制の合唱部だった

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by k_hankichi | 2018-02-26 07:08 | | Trackback | Comments(3)
モーツァルトが怒りを鎮めゆく映画『スリー・ビルボード』
評判の映画『スリー・ビルボード』(原題: Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)を観た。アメリカの現代の西部劇だった。

主演女優のフランシス・マクドーマンド(ミルドレッド・ヘイズ役)は、家の近くの道端で娘を殺された。怒りの矛先を警察署長に向けて、3枚の屋外看板に挑発的なメッセージを掲載する。

署長や警察官は「そうはいっても、やることはやってるよ、でも限界はあるしさ」という態度で反発する。

対するミルドレッドはクリント・イーストウッド張りのニヒルさで、そのいい加減な警察官たちとバトルを展開していく。痛快千万なやりとりだ。

ミルドレッドが怒りをおさめるシーンがある。小洒落たレストランだ。BGMはモーツァルトのピアノソナタ第1番ハ長調K279の第2楽章。

怒りを鎮めることによってミルドレッドはどうなっていくのか。明日への一筋の希望が光るラストだった。

■演奏者は異なるもしれないが久しぶりに聴きはじめたモーツァルト。
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by k_hankichi | 2018-02-25 09:32 | 映画 | Trackback | Comments(4)
穂村さんと読書を同期する
先週土曜日の『築地・本マルシェ』のなかでの対談「読書で広がり深まる世界」で、穂村弘さんのビブリオバトルに対する反応がとても痛快で、それは穂村さんの著作を好きな人たちはまったく同じ反応だろうと容易に想像できるから、ますます愉快になった。

対談相手のつまらなさに時間を持て余して、彼が取り出して紹介した一冊は、エヴゲーニイ・ザミャーチンの『われら』(集英社文庫)。これから読むのだけれどワクワクして仕方がない、と背表紙の宣伝文の一部を読むことまでしてくれた。

“そこ「単一国」では「守護局」の監視のもと、「時間律令板」によって人々の行動は画一化され、生殖行為も「薔薇色のクーポン券」によって統制されている。自然の力は「緑の壁」によってさえぎられ、建物はガラス張り。人々に名前はなく、ナンバー制だ。そして頂点に君臨する「慈愛の人」に逆らう者は、「機械」によって抹消される。”

思わず僕も買い求め、読了。

これはおっそろしいSF小説だった。と同時に、もしかすると、いや現実にいまの世の中の政治家たちは、このようにわれわれを操ろうとしているのではないのか、と感じた。戦前(1920年代初頭)に書かれたこの世界は、現代の西側国家にも当てはまる。極東の島国が目指そうとしている世の中とも、或る意味瓜二つに思えてきた。

社会主義国家への反駁の書は、現代の国家主義への反駁でもあるのだ。

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by k_hankichi | 2018-02-24 10:14 | | Trackback | Comments(4)
何事も輪廻転生であること
久しぶりにバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータを聴きたくなり、ウォークマンで聴きはじめた。そして驚いた。

どうしたことか、同じ曲を異なる演奏者が次々に弾きはじめたのだ。

リチャード・トネッティ、五嶋みどり、レイチェル・ポッジャーの順番だ。BWV1001の1楽章三人、そして2楽章三人と続いていき、終楽章までいくと、ようやく次の曲(BWV1002)に入っていく。そこでも、各楽章ごとに演奏家が変わっていき続いていく。

三人三様の演奏で、どれもが名演奏。僕がそれぞれの音盤を見つけ、聴き始め、そして心に沁みていったそのときの記憶が、其々から蘇ってくる。

そして何だか神妙な気持ちになっていった。輪廻転生というのは、こんな感じなのではないか、と。

その時期その時期の記憶や自分の心身、そして自分と周囲との関係は異なり、己の状態はどんどん変化しているのだと思っていても、それぞれを分解して、切り口を揃えて並べ繋げてみれば、実はそれ程違わずに似通っているのだと。

自分自身についてそんな感じであるばかりでない。

もしかすると、他の人の人生と重ねてみても、そんなに大きな違いはないのではないか。無伴奏ソナタを違う人が演奏してもやはり無伴奏ソナタで、それは永久に無伴奏の名曲であることと同じように。

ウォークマン用の曲目管理ソフトウェア「Media Go」と機器側の機能のバグは、思わぬ気づきをもたらした。

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by k_hankichi | 2018-02-23 08:05 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
滋養に効き、爽やかで清冽な心身になるエッセイ集
滋養に効く、爽やかで清冽な心身になる。必ずそうさせてくれるエッセイはそれほど多くなく、僕にとってはそれは堀江敏幸によるものだ。今回のものは最新刊『坂をみあげて』(中央公論社)。 

出だしの方に、次のような一篇があり、それだけで納得し神妙に寡黙になる。

“白洲正子の文章を読んでいると、時々、書き手の年齢がぐっと若返って娘のようになり、言葉が急に艶やかになる瞬間に出くわす。自分にないもの、というより、「ふつう」の人には絶対にないなにかを持っていて、本人もはっきり意識していながら知らんぷりしているような、ある意味でよく出来た人間を前にしたときにそれは発現するのだが、その感覚はどうやら、であいのたびに更新される、つねに新鮮な恋に似ているような気がする。美点でもなんでもない部分を誇示して他人の心の隙間に入り込もうとする者ばかりが目立つ厄介な環境に身をおきながら、あえてみずからの美点に気づかずにいる才人の自然さには、たしかに周囲をほっとさせ、とがった部分をやわらげる効果がある。”(「恋の芽ばえる場所」より)

そして、男の品性については次のように記している。

“では「完璧なダンディ」とはなにかといえば、ボードレールにとって、それは、人柄の良さと慇懃無礼にもなりうる社交性を発揮しながらも自己規律を怠らず、仕事に集中できるドラクロワのような画家を指していた。何事につけなまくらなところがあった詩人にとって、この「完璧なダンディ」としての粋人は、「超えた超えない」の物差しで測る対象ではなく、絶対に到達できない理想に近いところに位置していた。と同時に、理想化と夢想を通して自分の芸術をいつのまにか次の段階に推し進めてくれる、まぎれもない先行者だったのだ。ある意味で、この屈折を理解していた詩人のほうこそ、最も理想的な「ダンディ」だったお言えるかもしれない。”(「完璧なダンディズム」より)

なんと明晰な洞察と審美眼だろうか。

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by k_hankichi | 2018-02-22 07:01 | | Trackback | Comments(2)
ピアニストのバッハにまつわる心の旅
『バッハ インヴェンション こころの旅』(杉浦日出夫、音楽之友社)を、だいたい読了。だいたい、という意味は、なかに譜面抜粋と共に紹介されているバッハの数々の楽曲について、それぞれの旋律や謂わんとするところのトレースが出来ていないからだ。トレースできていないから、“つまみ食い半読した”とでもしたほうが正直だ。本を片手にピアノの鍵盤を弾きながら再読しなくてはならない。

全体は、実際の『インヴェンション』を構成するの15の調べの章に分かれていて、それぞれの曲の解釈や、そこから派生するエッセイ、そして著者が感銘した音楽家や文筆家による、バッハにまつわる事柄の抜粋も紹介されていく

「インヴェンション第2番ハ短調」は次のよう。

“あるとき生徒に「『インヴェンション』第2番のイメージとはどのようなものですか?」と聞いたところ、「雪の日の朝」という言葉が返ってきた。「なるほど静かで輝いた朝か!」と、それからこの言葉が好きになって使うようになった。”

この章には辻邦生がグールドのバッハを評する一文の紹介もあり、それには成る程と思う。

「いわばバッハの中にある音楽的な純粋美感を、蒸留水を集めるみたいに結晶化し、バッハにまつわるプロテスタント性も、教会性も、オルガンやチェンバロなどの楽器の音色性も、全て捨象されていた。」(「美神と饗宴の森で」から)

 「インヴェンション第8番ヘ長調」は次のようになる。

“バッハはイエスが「王として」語るとき、『インヴェンション』第8番にあるような3度の上行、あるいは長三和音で埋められる音を使って「神の声」を表している。譜例40は、『マタイ受難曲』の「最後の晩餐」の箇所で、「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれを割き弟子たちに与えて言われた、『取って食べよ、これはわたしのからだである』。(中略)この箇所の後半「あなたがたに言っておく」に続く、イエスが「王として」語る場所では、長三和音の分散音型が使われている。”

「インヴェンション第14番変ロ長調」は次のように締めくくられる。

“余談が長くなったが、『インヴェンション』第14番に戻ると、第1部では罪のなかった聖なる人に、第2部で罪が入り込み、その罪によって人間に死がもたらされた。C音の深い響き、それから逃れようとするような苦しみ喘ぐオクターヴの跳躍、そしてそれから逃れられず、人間が罪を背負い、その値である死とともに生きる姿が延々と描かれていくように思われる。まことの神を知らないということ、それが人間の心に罪を感じさせない。そういう意味で、罪とは、まことの神から離れているということなのであろう。”

バッハが聖書と絡めて数字というものを大事にしてきた様もしっかりと詳しく解説されていて、教養的にも為になる一冊だった。

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by k_hankichi | 2018-02-21 06:27 | | Trackback | Comments(4)
心身を文字通りぐちゃぐちゃに没頭させているバーンスタインによるマーラー
友人とマーラーの交響曲第9番は、演奏というより、曲なんだよな、素晴らしいからだいたい感動する、という話をしていた。でも最後に彼は、バルビローリの指揮、そしてバーンスタインの指揮によるものが、一、二やな、と呟いたあと次の話題に移っていた。

帰途の車窓から外を眺めながら、ん?バルビローリの音盤は持っていないんだけれど、バーンスタインはあったような・・・ということを思った。

果たして書棚をさがしてみると、おおっ。そこにお蔵入りしていたものがあって、それはしかも全てがライヴレコーディングによる全集。ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による1975年から1988年にかけての演奏だ。もちろん全てレナード・バーンスタインによる指揮。

■音盤: ドイツグラモフォン 00289 477 8668

僕はバーンスタインを一部の演奏(シベリウスやチャイコフスキー)を除いていささか苦手にしてきたから、ちょっと聴いただけで奥の院に収納されたままになっていたのだろう。

これを日曜日から聴き始めて(電車のなかで)腰を抜かしそうになることしきり。身体が、腕が脚が、勝手に夢遊病者のようになっていく。どんなふうなんだ、この曲集は。つまりマーラーは、バーンスタインは。

「没頭」ということばが、文字通り音楽のなかに頭から飛び込んでぐちゃぐちゃに心身を悶え掻きむしっている、ということが良く分かる。上気した人間がやる様はもう手が付けられない。カラヤンのマーラーが冷静という雰囲気だけを醸しながら表面をなぞっているだけであることが良く分かった。

持つべきものは友だなあ。いつも思うけれども音楽や小説についてのそれがぬわわるとまた格別だ。

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by k_hankichi | 2018-02-20 00:31 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(9)
無言のまま7つの橋に願掛けをして渡りたい
銀座は散歩のし甲斐があって、その道また道、景色の風情のことを思い出すだけで楽しい。しかしこれくらいにしておかなくてはならない。

一昨日通った三吉橋の袂には碑があって、そこには三島由紀夫の小説『橋づくし』からの抜粋が彫られていることを、写真をあとで眺めていて気がついた。

“それは三叉の川筋に架せられた珍しい三叉の橋で、向こう岸の角には中央区役所の陰気なビルがうずくまり、時計台の文字板がしらじらと冴えて、とんちんかんな時刻を示している。橋の欄干は低く、その三叉の中央の三角形を形つくる三つの角に、おのおの古雅な鈴蘭燈が立っている。鈴蘭燈のひとつひとつが四つの燈火を吊しているのに、そのすべてが灯っているわけではない。月に照らされて灯っていない灯の丸い磨硝子の覆いが、まっ白に見える。”

なるほど。彼が書いた頃はすでに市制改正されていて東京都中央区になっていた。しかしそこに描かれているのは現在の区役所建物(1969年竣工)ではなくて、先代の京橋区役所(1929年竣工)の佇まいだとわかる。

それにしてもこの作品は、中秋の名月の夜に無言のままに七つの橋に願掛けをして渡れば願いが叶うという言い伝えに基づいて女四人が橋を渡る小説だそうで、なんだかとっても読みたくなった。

■京橋区役所の建物(昭和4年〜)。
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■中央区役所の建物(昭和44年〜)。鈴蘭燈は昔のまま。この角度から撮影すると区役所の文字を突き刺していて少しシュールだ。
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■三吉橋たもとの碑の拡大。三島由紀夫の小説からの写し。堀と川と橋の図も分かりやすい。七つの橋がどれなのかが良く分かる。
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by k_hankichi | 2018-02-19 07:47 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)