音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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2017年のベスト3(小説、音楽、映画、テレビ番組)

年の瀬恒例の、今年のベストをまとめました。

■小説
さまざまな作家の素晴らしい作品に巡り合った。多岐に渡るけれども、やはり移り変わりゆく時代のなかで、変らぬものを感じる作品に感銘をうけた。

1. 村上春樹『騎士団長殺し』http://hankichi.exblog.jp/26523536/
2. 松浦寿輝『名誉と恍惚』http://hankichi.exblog.jp/26774803/
3. 柴田翔『地蔵千年、花百年』http://hankichi.exblog.jp/26692139/
次点. 松家仁之『光の犬』http://hankichi.exblog.jp/28228969/
次々点. 高樹のぶ子『百年の予言』http://hankichi.exblog.jp/26719380/

■音楽
コンサートにはあまり行けなかったけれども、素晴らしき音盤に巡り合い、疲れた心身が癒されたものだった。

1. ヴィクトリア・ムローヴァによるバッハの無伴奏(CD)http://hankichi.exblog.jp/26737467/
2. バッハコレギウムジャパンによるマタイ受難曲(ライヴ)http://hankichi.exblog.jp/26589870/
3. 山田和樹/横浜シンフォニエッタによるシューベルトとアザラシヴィリ(CD)http://hankichi.exblog.jp/26828726/
次点. どこにも導かないアファナシエフによるショパンのマズルカ(CD)http://hankichi.exblog.jp/26319463/
次々点. 仲道郁代のシューマン・ファンタジー(CD)http://hankichi.exblog.jp/28193566/

■映画
こうしてみると、封切り作品をしっかり観るタイミングを逸した一年だったように思うが、それでも、これから何回も観ていきたい作品との出会いが重要だった。

1. ジャック・デュミ監督『ロシュフォールの恋人たち』http://hankichi.exblog.jp/28795459/
2. 片渕須直監督『この世界の片隅に』http://hankichi.exblog.jp/26338296/
3. 吉田喜重監督『秋津温泉』http://hankichi.exblog.jp/27689015/
次点. デイミアン・チャゼル監督『ラ・ラ・ランド』http://hankichi.exblog.jp/26770045/
次々点. 小栗康平監督『死の棘』http://hankichi.exblog.jp/26785395/

■TV番組
振り返ってみると『ひよっこ』はあまりにも図抜けて素晴らしく、ゴールした時点では、『カルテット』はまだ第四コーナーを回りきったところに居たという感じだ。そしてそれ以外の走者は途中棄権だった。

1. 連続テレビ小説『ひよっこ』http://hankichi.exblog.jp/26815642/
2. テレビドラマ『カルテット』http://hankichi.exblog.jp/26342015/

今年一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

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by k_hankichi | 2017-12-31 00:11 | | Trackback | Comments(6)
『高慢と偏見』じゃあないし、『正義と微笑』に近いけれど何か違うし、と観たばかりの映画の作品の題名が覚えられないのだけれども、良い作品だった。ブログ知人が観て感銘されていた『肯定と否定』、じゃなかった『否定と肯定』。そして原題は『Denial(否定)』だから、さらに混乱する。

法廷闘争系の作品は、胸がきりきり痛むので普段は観ないのだけれど、とてもスカッとする作品だった。

正義・正当の名のもと、ぐだぐだと勝手な論理を展開する現代の政治家や政略評論家たちにも観せたいと思ったけれど、たぶんそういう人たちは自分たちに都合が悪いものにたいしては大抵は眼を瞑るだろうからなあと思ったりもした。

年末、だんだんと爽快になってきた。

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by k_hankichi | 2017-12-30 08:47 | 映画 | Trackback | Comments(2)
イタリアに暮らしたいなあと思ったのは須賀敦子さんの随筆を読んでいたからだけれど、それはミラノという街のある種の峻厳とした感じや須賀さんのストイックな生き様に感じ入ったからだ。

それと対比するかのような楽しげな生活をしているなあ、と内田洋子さんのエッセイを読んで感じていて、楽観的な人なのかなとずっと思い込んでいた。

それがどうだ。『対岸のヴェネツィア』(集英社)で半ば覆された感じになった。

須賀さんと同じミラノに暮らしていた内田さんは、友人のヴェネツィアへの思いに触発され、自らもそこに住もうと意を決する。

住まいを決めたのはヴェネツィア本島ではなく、その対岸にあるジュデッカ島だった。本島へは連絡船でしか行けない。その不便さのなかに彼女はようやく心の落ち着きを取り戻していく。

僕らは気づく。明るく感じられる内田さんも、生きるといくことの意味について深く悩み考えたりしていることを。

“目覚めて雨戸を開けると、窓の中に運河とサン・マルコ寺院が見える。居間の隅が台所になっていて、エスプレッソマシンを火に掛けながら寝間着のまま、この風景を見る。目にするたびに、まだ夢の続きかと思う。天気が良いと、運河は白を混ぜたような明るい緑色から、朝日と空を取り込んで徐々に濃い緑色へと変わっていく。日によって藤色を帯びることもあれば、桃色から紫が加わり群青色に移っていくこともある。天女たちが薄衣を羽織ったり、靡かせたりしているようだ。雨や霧の朝は、水面が黒々と沈んだ色となる。雨が打ち、低く跳ね返る。そこへカモメが刺すように急降下していく。次々と下りてくる。雨足が強まる。高まる水音。窓が曇る。情景には色がない。たまらなく寂しく、しかしずっと見入ってしまう。”(「読むために生まれてきた」から)

これはもはや、クロード・モネの世界だ。彼が描いたヴェネツィアの情景と彼が聞いたヴェネツィアの静けさと淋しさがここにある。

夢と現の狭間を揺れ動くのがヴェネツィアなのだ。また行きたい場所が、増えた。

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by k_hankichi | 2017-12-29 09:04 | | Trackback | Comments(2)
ジャック・デュミ監督によるミュージカル映画『シェルブールの雨傘』の素晴らしさはよく知られているけれども、こちらの作品は観たことがなかった。冬休みを貰って柏の映画館まで足を運んだら、それはそれは心地よい美しい作品でこの一年間の疲れが一気に吹っ飛んだ。『ロシュフォールの恋人たち』→http://cinema-enchante.com/

音楽は前作と同じくミッシェル・ルグラン。以前からナタリー・デセイが歌った音盤をよく聴いていたが(http://hankichi.exblog.jp/22028684/
)、映画の中で聴くその音楽と歌はまた別格。カトリーヌ・ドヌーヴは、一つ違いの実姉フランソワーズ・ドルレアックと双子の姉妹を演じていて、その息の合った歌とダンスは本当に素晴らしい。しかしこの姉は、作品に出たあと間もなく自動車事故で亡くなってしまい、ふたりが共演した映画として唯一のものとなったそう。

映画の出だしは、カーニバルの出し物をする一座(ジョージ・チャキリス率いる)がシャラント川を運搬橋で渡るところから始まる。この橋はゴンドラをクレーンで釣り上げて人や車を運ぶもので、もし自分がそこにいるとすれば高所恐怖なのでオッカナイけれど、観ている分には美しい。調べてみるとこれは現在も稼働している。
https://www.pont-transbordeur.fr/plus-q-un-monument

一同はそしてロシュフォールの中心広場に荷を下ろし、祭りの準備を始めていく。それはそれは明るい広場で、これまたgoogle mapで調べてみると、なんとまあ、映画のシーンが描かれたバスまでもが今も走っているらしい。
https://www.google.co.jp/maps/@45.937792,-0.9642523,3a,70y,25.06h,84.08t/data=!3m6!1e1!3m4!1skoFNk9fdlj10nMQTDEVwyg!2e0!7i13312!8i6656

その広場を見下ろすアパルトマンに住んでいるのがその姉妹。姉は音楽家、妹はバレエダンサーという設定で、ふたりはともにパリに出ていくことを夢見ている。ジーン・ケリーは姉が憧れる作曲家役、ダニエル・ダリューは姉妹の母親を演じているという豪華な顔ぶれ。

全てのシーンがこの実際の港町ロシュフォールで撮影されたそうで、もう、是が非でもいつかきっと訪れたくなった。

■作品
・監督・脚本:ジャック・ドゥミ
・音楽:ミシェル・ルグラン
・出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアック、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス
・製作:1967年/127分/カラー
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by k_hankichi | 2017-12-28 09:51 | 映画 | Trackback | Comments(4)
自動的に買い求めて途中で放り投げた。『京都ぎらい 官能篇』(井上章一、朝日選書)。

洛外に生まれ育った心境を、逆手に取る書きざまは健在で、なるほどといちいち頷いてしまう。しかしそれは一本調子なので直ぐに飽きる。

洛中に生まれ育った人との対話形式か、章分け対決方式にすることをお奨めしたい。

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by k_hankichi | 2017-12-27 19:48 | | Trackback | Comments(2)
ひとつの話題で新書一冊が書けることに驚いた。そしてそのなかにある真髄というものが如何に根深いのかということを垣間見た。『京都ぎらい』(井上章一、朝日新書)。

ポイントは洛内に生まれ育ったか否かということ。何となく想像してはいたけれど、その中華思想は最早深淵とでも言わざるを得ない。

東京でもある程度似たようなことはあるけれども、千代田区でなければ東京人ではない、或いは山手線の内側でなければ東京人ではない、とまでは言われない。

「宇治のくせに、京都と言うな」「山科なんかにいったら、東山が西に見えてしまう」・・・。そんなことを言ったら、何でも言えてしまえるような気がする。

おお怖っ。

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by k_hankichi | 2017-12-26 21:45 | | Trackback | Comments(3)
読み終えて、何と感受性の豊かな人なのだろう、と思った。そして、幾ばくかは僕も著者が言わんとしているところが分かって、分かるばかりか同じ感覚をそれらの本から受けていたことを悟った。

『文字と楽園』(正木香子、本の雑誌社)。精興社書体についての本だ。

次のような出だしで始まる。

“「ぼく」という一人称がすきだ。
普段は「私」でくらしている。もちろん困らない。「ぼく」のことは、だから大抵忘れている。
でも、ときどき、「ぼく」に思い焦がれることがある。それはどんなときかというと、精興社書体でかかれた、荒川洋治のエッセイを読んでいるときだ。
(略)
ふと読み返すとき、いつも理由はない。だからそのたびに思いだす。「ぼく」の文字を、丹念に目で味わっている自分に気づく。しあわせで、しあわせで、忘れていたのが信じられない気持ちになる。
(略)
精興社書体で書かれた「ぼく」には、滞るような、わずかに窪みに滴がたまるような、小さいすきまがある。
私はその空間に響く音色がすきだ。文字とことばが重なりあって生まれる、鼓動のようなリズムがすきだ。”

確かにこの書体の特にひらがなのふくよかさと精緻さが入り混じったものが活字としてページをおおっているだけで、妙に気持ちが落ち着き思考はゆっくりと確実に回り始める。

みすず書房の全てと、多くの岩波しょてんのしよせき、そして新潮文庫などに採用されてきたこの活字が、そういう名前の書体だということを初めて知った。

これが僕たちの心を鋭敏にさせ、感性を豊かにさせ、そして、時間の流れと同期して活字が示している世界を自分の心の中に再現していくのだとようやっと分かった。

活字は文体のひとつでさえある。

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by k_hankichi | 2017-12-25 16:51 | | Trackback | Comments(4)
聖体拝領の祈りのパンを買いに出かけた。松戸・北小金にある、バックストゥーベ・ツォップ(Backstube Zopf)。Backstubeはパン焼き小屋の意味。Zopfはスイスの編んだパンの種類。

ここは日本一のパン屋さんとして殿堂入りしているそうで、駐車場が40台分もあるのだけれど大変な混み具合に驚く。

それでも訪れて良かった。実に美味そうなパンばかり。選り取りみどり。ほくほくした気持ちで帰宅した。

さて、あとは美味い酒さえあれば良い。

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by k_hankichi | 2017-12-24 15:41 | 食べ物 | Trackback | Comments(4)
穂村さんの「これから泳ぎにいきませんか」のなかの一篇に、川上弘美の短篇小説集の解説が入っていた。読みながらどんなふうに興奮して、一つづつ読み終えるごとに友人に電話していくさまが実況中継的に描かれてそれが書評なのだ。

それは表現的語感的には、“先端で、さすわさされるわそらええわ” 的な、あるいは、海辺の砂浜越しに寝そべって遠くから潮騒が聞こえてくるような心地よさだった。

『物語が、始まる』(中公文庫)がそれで、読み終えてから嗚呼これが短篇小説の醍醐味なのだ、と深い吐息とともに頷く。

不思議な展開の話ばかりなのだけれど、おどろおどろしてはいなくて、それじゃあ何だつまらないのじゃないかと言われそうだけれど、それがまた随分と面白い。

怪談とかホラーとかではなく、もしかすると僕らも夢のなかで出会っている世界がそこにあり、自分の卑近なところにもあるように感じてしまう。他人ごととは思えないから、尚更溜め息が深くなる。

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by k_hankichi | 2017-12-23 09:06 | | Trackback | Comments(6)

轟夕起子のこと

片岡義男はエッセイのなかで自らの生い立ちについて書き留めている。アメリカのハワイで育った父親は、近江八幡の数珠屋に生まれた母親を見染めたそう。轟夕起子似の美しさにも惚れたようだ。

轟夕起子・・・。

その名前を目にして、どこかで聞いたことがある気分に捕らわれた。しかし彼女は小津映画には出ていないようで、そうだとするとどこで見知っているのだろう。

ウィキペディアを眺めていたら、テレビ番組の「ジェスチャー」のレギュラー格出演者とあって、ああ成る程、これかもしれない、と思い当たった。僕は小学生ながらいつも楽しみにしていて、毎回、それぞれの仕草に魅入り笑っていたものだった。

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by k_hankichi | 2017-12-22 06:43 | 映画 | Trackback | Comments(2)