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<   2017年 11月 ( 31 )   > この月の画像一覧
宇野功芳編集長の本
久しぶりに宇野功芳の文章を読み始めた。『宇野功芳編集長の本  音から音楽へ』(音楽之友社)。

中高生時代に、彼の音楽評があれば取り憑かれたように読んでいたから、とても懐かしい。ブルーノ・ワルター狂いになったのもそのせいで、受験勉強の通信教育・Z会でのIDネームまで、ブルーノ・ワルターにしていたくらいだ。

毎月発表される試験成績のなかのリストにワルターがあればそれだけで嬉しくなったが、いつしかフルトヴェングラーというIDの会員が出てきて驚き、ワルターがんばれと、躍起になった。フルヴェンは意外に強かった。

さて彼のエッセイ。

“指揮者は自分では音を出さない唯一の演奏家だが、実は体に音をかくし持っているのである。そう考えると、指揮という仕事はなんとすばらしい、精神的なものなのだろうか。それはほとんど超能力の世界といってもよい。極端な例を挙げれば、楽員に馬鹿にされるような指揮者でも、出てきた音が聴衆を感動させれば、それは一流の芸術家なのだ。”(「このごろ考えること」より)

シンプルなことばだけれども、もっともだと理由なく頷いてしまう魔力をもっている。

しばらく、たゆたいそうです。

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by k_hankichi | 2017-11-30 10:49 | | Trackback | Comments(3)
武満と谷川による音楽詩
友人からこの曲の演奏動画があることを教えて貰った。『系図 若い人たちのための音楽詩』。武満徹が谷川俊太郎の詩に乗せて描く曲だ。

件の松家仁之さんのエッセイ「グールドの恋人」の冒頭に紹介されていたもので、松家さんは気分が沈みがちな日に耳を傾けるという。僕も昨日から耳を傾けている。

動画はいくつかあったのだけれど、僕は遠野凪子がナレーターを務めている演奏(彼女はこの曲の日本初演も担当した)が良かった。

自分の系譜、そして目の前にいる祖父祖母、父母、さらに犬にまでも、感じる気持ちを、幼い女の子が時に夢見るように、時に不安になるやうに、小さく震えるような、しかし透徹なる響きで伝えてくれる。遠野さんの演技者を超えた素朴で可憐な存在は、えもいえない。

シャルル・デュトワのリードも、撫でるように優しくて、聴いているだけで肩の力が緩んでいった。

■動画


■曲のもととなった詩が入っている谷川俊太郎の詩集
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by k_hankichi | 2017-11-29 07:38 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
「ウェインスコット・ポンド」の静かな息吹
「ウェインスコット・ポンド - Wainscot Pond - を、実は、私は未だ訪れたことがない。それがアメリカの何処にあるのかも知らない。友人から送られてきた絵葉書に印刷された美しい風景画の下に、小さな活字で、Wainscot Pondとあった。池の向こうに、私には、沈黙する森が見えた。ここではたんに森の情景を描写するのではなく、森のなかで、感じ、考えたこと、また行動を共にしたひとびととの懐かしい思い出を描こうと思った。」(武満徹)

どんな音楽評論家が説明しようとしても、書き尽くさないことがここに淡々と記されている。それも美しい文章で。

『森のなかで』のなかの「ウェインスコット・ポンド  - コーネリア・フォスの絵画から - 」は、本当に深い深い森のなかを、彷徨うようにして静かに歩きながら感じたことが表されている。

森の木々と対話したり、昔のことを思い出したり、友達やあるいは曽て交わりはあったけれども過ぎ去っていった人たちのことなどが、滲み出るように空間に放たれて、そこにあった。

「政治や経済」「国際や国内」というような言葉で表される事象とは、まるで無縁な世界なのだ。どうしてかといえば、この音楽が、人が生きてきた、生きている、というような事柄の次元だから。

自然と対話できのは、自然そのものか、あるいは生きとし生けるものだけ。

一週間ほど前の新聞の文化面に出ていた松家仁之さんのエッセイにも紹介されていたこの曲は、心身のなかに静かに静かに沁み入っていく。

■武満徹 ギター作品集成
演奏: 鈴木大介
収録: 1996.12.5-7、ミューズパーク、埼玉県秩父
音盤: フォンテック FOCD9229

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by k_hankichi | 2017-11-28 08:03 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
晩秋の 小春日和に 佐倉かな
この日曜日は、寒さの増すこの晩秋のなか、佐倉のDIC川村記念美術館に足を運ぶ。池を臨む広大な庭園の畔にある建物は想像以上に広くて、常設展の作品がまず素晴らしい。鏑木清方の素朴な味わい(『明治時世粧』と『雑司ヶ谷深秋』)と、そして鏑木清方の陶然とした悠久なる時の流れ(「琵琶行』、『木蘭』、『秋桜老猿』)に感じ入った。

そして企画展。フェリーチェ・ベアトの写真には、その一点一点じっくりと佇んで味わい尽くせるもの。
http://kawamura-museum.dic.co.jp/release/pdf/felice_press_release.pdf

都会の喧騒を離れたこの静謐な地に、よくぞこれだけの作品を収蔵し、また企画として集めることができたものだ。小春日和とともに心が温かくなった。

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by k_hankichi | 2017-11-27 00:27 | 美術 | Trackback | Comments(3)
ストラディバリウスの木
『ストラディヴァリウスの真実と嘘』(中澤宗幸、世界文化社)を読了。素晴らしき楽器が生まれた背景や、そしてその地勢、またその後の経緯は面白かった。

“パガニーニも、「ストラディヴァリウスはナイチンゲールがとまって鳴く木しか使わなかった」と吹聴したといわれています。(中略)では、いったいストラディヴァリはどこから木材を調達していたのでしょうか。私は、表板のスプルースはクレモナの来たにあるパネベッジオの森で、裏板のカエデは旧ユーゴスラビア、現在のクロアチア、ボスニア周辺で調達したのではないかと推察します。雄大な自然が広がるパネベッジオの森はポー河、ライン河、ドナウ河、ローヌ河の四つの河の源流が集まるアルプス大分水嶺の近くにあり、木材はポー河の水上輸送でクレモナまで運ばれたと思われます。”(「第1章 ストラディヴァリウスの真実」より)

“2008年にオランダのライデン大学のグループが、CTスキャナーによる断層撮影でストラディヴァリウスを調べたとき、木材の密度が驚くほど均一になっており、年輪による木目の幅の違いがほとんどないことがわかりました。これは十四世紀から十九世紀半ばまでヨーロッパで続いた寒冷な小氷河期によるものといわれています。小氷河期は、特にストラディヴァリが生きていた時代にピークに達し、夏と冬の寒暖差が小さく、木目が均質につまったヴァイオリン製作に恰好な材料を調達できたという発表をしています。”(同上)

その材料を調達できた時代があり、そしてまたそこに秀悦な製作者がいたという生い立ち自体がまさに奇跡だったということになる。

このほか、数々のヴァイオリニスト、弦楽四重奏団のメンバーとの交流(ABQとの交流も)など、興味津々。名ヴァイオリンは名修復士のもとに集まる、ということにもなるほどと思った。

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by k_hankichi | 2017-11-26 09:35 | | Trackback | Comments(3)
箱根路はアグファカラーの色合い
箱根路は、アグファカラーの色合いで、だから心がとても落ち着いた。

湖畔は眺められなかったけれども、それはそれでよく、不思議と惜しい気持ちはなくて、それが箱根という大きな塊なのだ。

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by k_hankichi | 2017-11-25 08:39 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
乱世を前にして佇む牛久大仏
牛久と聞くと、なんだかとっても遠いところだと思っていた。そこに巨大な大仏がずいぶん前に建立されているから見に行きたいと家人に言われて、せっかくの勤労感謝の日だしと、躊躇いつつも行くことにした。

車で走ること、ものの40 分ほどでそこに着き、拍子抜けするほどの近さに驚いたが、しかしそんなこと以上に、その大仏のでかさに驚いた。

何と高さが120mだということで、世界一の青銅製立像だそう。薄明かりの夜に突然現れたとしたら腰を抜かすのではないかと思うほど。奈良の大仏が14.9m、ニューヨークの自由の女神が40mだというから、その異様な規模がわかる。

どうしてこんなものをこんな田舎に建てたのだろうと蘊蓄を読んでみると、常陸の国は親鸞聖人が20年ほど布教に費した土地で、「教行信証」という書もこの地で書いたそう。その所縁があってのことらしい。

「常陸路で 見下ろす御仏 秋深し いつしか鎮めよ 奢れし政治」

「雨上がり 御仏浄めし 青空に 吸われしわが身の 秋の夕暮れ」

シューベルトのピアノ曲が耳に良く沁みた。

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by k_hankichi | 2017-11-24 00:26 | 街角・風物 | Trackback | Comments(5)
僕もディープにぶら散歩する派である
東京を東に西に南に北に移動したり降りたりしていると、やはり地勢というものに自然と興味が湧く。だからこういう本があればすぐに買い求めて、ふむふむなるほどと頷き、自分の見立てに狂いがないことに悦にいったり、まったく新しい知見や成り立ちの歴史に必要以上に感じ入る。『東京ディープぶら散歩』(町田忍、アスペクト文庫)。

街角や街区の歴史には、江戸から明治、そして大正昭和にかけての風俗の変遷も混じっていて、そこに息づいている人々の日々の生活や気持ち、場合によってはざわざわとした語らいや囁き、呟きまで聞こえてきそう。

だから東京は楽しい。

※追伸
写真は今週訪れた本郷の駅前の喫茶店。えもいわれぬノスタルジーがある佇まいだ。コーヒーも美味かった。

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by k_hankichi | 2017-11-23 09:22 | | Trackback | Comments(2)
疲れた心身を癒やすもの・・・ヨハネに入るまえに
ほぼ毎日の肌触りが冬になって、さみしさが日増しに募る。そんななか、夜のしじまに本当はバッハのヨハネ受難曲に耳を傾けていたいのだけれど、日々の世知辛さのなか、その世界には踏み込めないでいた。

そして武満徹の曲に浸っている。

友人に、いまタケミツなり、と連絡したら、没後20年の曲集かい?と返事があって、少し焦った。

聴いていたのは、没後10周年を記憶に刻むためのアルバムだったからだ。

『夢の引用』という題のアルバムで、その旋律の素朴さと素直さと、そしてギター用に、アレンジされた編曲の巧みに深く深く吐息をついていた。

■曲目
1. 太平洋ひとりぼっち
2. ◯と△の歌
3. 伊豆の踊り子
4. ヒロシマという名の少年
5. 素晴らしい悪女
6. あこがれ
7. 狂った果実
8. 日本の青春

■演奏
鈴木大介、ブランドン・ロス、ツトム・たけいし
■収録
2006.6.4-6, Mission Sound Recording, New York
■音盤
Intoxicate INTD-1009

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by k_hankichi | 2017-11-22 00:41 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
ヨハネ受難曲のほうが意味があると言っていた先輩のことを思い出す
作家の平野啓一郎さんが、最近一番感銘をした本だとしていたので思わず取り寄せて、すこし時間をかけて読了。『バッハ万華鏡 時代の激流に生きた教会音楽家』(川端純四郎、日本キリスト教団出版局)。

一番心に響いたのは、『ヨハネ受難曲』についての論考。第一稿から第四稿まで世の中に知られているということで、『マタイ受難曲』とは全く異なるイエスの姿が立ち上がってくるのは第一稿および第四稿なのだという。第二稿は音楽的統一性や完成度においては非常に高いが、何といってもヨハネ的ではないという。第三稿は、第一稿からマタイ伝とマルコ伝からの引用を削除してさらに終曲コラールを削除したもので首尾一貫した統一性があるのだけれど、バッハからすると最も不本意な稿だったのではないのかという。

まとめると、バッハ自身の願いに一番近い形は第四稿であって、その変更された歌詞だけを第一稿の歌詞に戻したものが一番よいというのが筆者の見解だ。冒頭にある「王なるキリスト」というヨハネ的キリスト論と、マタイ引用によって告白されている、弱いペドロを赦す十字架の主という贖罪論的キリスト論の二つを、最後のコラールが終末論的希望の中で統一するのがバッハが狙ったところだとする。

最後の審判の日に(これは非ヨハネ的だそうだ)、王座に座すキリストの前で(ヨハネ的なものだそうだ)、罪赦されて賛美する時を信じることによってのみ、この緊張関係を統一するとしている。そして最後のコラールを、受難曲の一部ということではなくヨハネ受難曲全体に対してのバッハの結論的解釈としてみるべきなのだとする。

こんなことまで分かって聴いているわけではなかった僕にとって、まさに眼から鱗。少し前に酒を汲み返した会社の先輩が、ヨハネ受難曲の方が重みがあって意味があると言っていたことを思い出し、そしてまた、僕もバッハをさらにさらに真面目に聴きそして触れていかねばと思った。

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by k_hankichi | 2017-11-21 06:30 | | Trackback | Comments(3)