『堕天使のコード』・・・父娘の愛によるさすらいと、人間の原罪からの救済
2014年 11月 30日夜の闇を宿に向かう。オートリキシャがたくさんの客を乗せて、ひしめくように走っている。薄暗い照明のもと、道路に沿って食い物屋が立ち並ぶ。人々が波のようにそのまえをぞろぞろと歩いている。そのてんでんばらばらさに、呆気にとられる。車窓から外を眺めていると、向こうもこちらを覗きこんでくる。あわてて目を反らす。
この長い時間、機内では小説1冊を読み終えていた。それがいまの心に波紋を投げかけている。とてもメランコリックな感覚に陥らせた。『堕天使のコード』(アンドリュー・パイパー、新潮文庫)。今年の新作小説だ。
父と娘は、ともに生きているということについての不安感、居心地の悪さを持っている。閉じこもった心が向かうものに抗おうとしている。娘の葛藤を知り、自らの過去の経験とそれが重なる。悪魔の存在をばっさりと解体する宗教学者の父親は、娘とともにヴェネチアに誘き寄せられる。
父親のほうは何者かに追い詰められ、自らの存在意義を問われる。娘は父親がそのような境地に陥ったことを知らぬが、しかし、彼女は彼女で自分自身の不安に耐えかねてこの世を去る。父親はそれを認めきれずに、アメリカ大陸を彷徨う。
そして最後に父親は悟る。自分自身が持つ存在の不安感は、かつて父親の親が犯した怖ろしい罪によるものだったということを。そして娘は、そのことを直感的に感じ取っていたということを。その意味で、娘は父親の代わりにこの世から去ったことになる。
この小説はだから一言で言えば、「父娘の愛によるさすらいと、人間の原罪からの救済」ということになろうか。
著者のAndrew Pyper(→http://www.andrewpyper.com/)は、1968年カナダのオンタリオ州ストラトフォード生まれ。モントリオールのマギル大学で英文学の学士・修士、トロント大学で法律を学び弁護士資格も取得している。
小説は次のジョン・ミルトン『失楽園』からの言葉とともに始まり、作品中にも散りばめられている。
“われわれが目を覚ましている時も、眠っている時も、たとえわれわれの目にはふれなくとも、幾百万の天使たちがこの地上をあるきまわっている。”
“心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ。
地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ。”
(悪魔も天使も、天国も地獄も、それらはれっきとした人間の生の一部だ、とする。)
“おお太陽よ、だが、それはお前の光を
いかにわたしが憎んでいるかを告げるためだ。
お前の光を見ていると、
自分がいかに高い地位から堕ちたかを思い出す・・・・”
(悪魔の独白。堕ちたおのれの境遇を呪い、自ら追放された闇のなかに惑うおのれの姿を浮き彫りにする昼の光を呪っている。)
“知るということが罪であり、
死である、とどうしていえるのか?”
(サタンが知を与えることでイヴを誘惑し人間を滅ぼそうと企てるくだり。)
“戦慄すべき一大牢獄、四方八方
焔に包まれた巨大な焦熱の鉱炉。
だがその焔は光を放ってはいない。
ただ目に見える暗黒があるのみなのだ。
そしてその暗黒に、悲痛な光景が照らし出されている。”
(自分が内側から外へぱっと開かれた感じだが、それが光ではなくて真っ暗のなかに投げ込まれた、どんな光よりもよく眼に見える暗黒に、という説明とともにある。)
翻訳版元の紹介文を最後に添付しておく。
“ミルトンの『失楽園』を研究するウルマン教授は、〈やせた女〉からヴェネツィアへ行って悪魔学者としての力を貸してほしいと頼まれる。自分は英文学者にすぎないと反論するも航空券などを渡される。最近殻にこもりがちな11歳の娘を元気づけようと二人でヴェネツィアへ。だが、そこで娘は姿を消してしまう。あたしを見つけてと言い残して。国際スリラー作家協会(ITW)、2014年最優秀長編賞。”
■ムンバイの夜・・・ホテルの窓から見える一棟のアパルトメント。それぞれの家庭の灯が妖しく光る。

■ムンバイの朝・・・アパルトメントは夜の姿と違っている。隣の美しいビルと比べると煤け哀しい。
