音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

カテゴリ:美術( 61 )

永劫と繋がる駅

その駅の中に初めて佇んだとき、140年という時が一気に遡った。

あの日あの時あの朝に、蒸気機関車の騒がしい音と煙とエネルギーに囲まれ、画家はそれをキャンバスに沁み通らせる一心で筆を運ばせた。

今も喧騒に囲まれたそれを前にして、僕は目指していた場所のことを忘れてしまった。

駅の外には、FOUJITAの画展へのいざない。

永劫と繋がった。

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by k_hankichi | 2018-03-16 02:24 | 美術 | Trackback | Comments(4)

正月休み最後の昼下がり

正月休みの最後は上野の森で『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』を観る。ゴッホの絵だけかと思ったらこのあいだの「北斎とジャポニズム展」のようなかたちで、日本の浮世絵からの影響を教育的に説明構成したものでびっくりした。

ゴッホで埋められない空間にはゴッホやテオ、画商を訪れた日本人たちの記帳簿や手紙を陳列してある。そういうことは訪れる人たちも分かっているだろうから何とも消化不良になった。学ばせてやろうという企画展は性に合わない。

ゴッホの絵が少ないのであれば、それだけをポツリポツリと各部屋にまばらに掛けてもらったほうがまだよいなあ。

麦畑の絵の素晴らしさには、とことん感銘した。

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by k_hankichi | 2018-01-05 00:20 | 美術 | Trackback | Comments(4)
この日曜日は、寒さの増すこの晩秋のなか、佐倉のDIC川村記念美術館に足を運ぶ。池を臨む広大な庭園の畔にある建物は想像以上に広くて、常設展の作品がまず素晴らしい。鏑木清方の素朴な味わい(『明治時世粧』と『雑司ヶ谷深秋』)と、そして鏑木清方の陶然とした悠久なる時の流れ(「琵琶行』、『木蘭』、『秋桜老猿』)に感じ入った。

そして企画展。フェリーチェ・ベアトの写真には、その一点一点じっくりと佇んで味わい尽くせるもの。
http://kawamura-museum.dic.co.jp/release/pdf/felice_press_release.pdf

都会の喧騒を離れたこの静謐な地に、よくぞこれだけの作品を収蔵し、また企画として集めることができたものだ。小春日和とともに心が温かくなった。

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by k_hankichi | 2017-11-27 00:27 | 美術 | Trackback | Comments(3)

その箱のこと

ストラディヴァリについての本を読み終えて、ひとつの木の箱というものが、途方もなく素晴らしい世界を築くということに改めて感じ入った。

その形が定まって以来、数百年ものあいだ、全く変更が加えられないヴァイオリンという楽器の完成度は比類ないという。その他の種類の楽器は、デザインのみならず構造、構成、材料まで変更に変更が重ねられた。

珠玉の箱。

そんなことを思っていたら、先日の銀座の展覧会で見た、木の箱のことが気になり始めた。

腰高で半間ほどの幅があり、樫の木のような色合いをした二段の整理箱だ。

不思議なのは、その扉の大きさが一段の高さに比べて極めて小さいこと。これでは大きめのものは収納できない。

展示されていた作品の中には、確か石ころのようなもの(箸置き?)が幾つか綺麗に並べられていた。

「顔なし」が並べて面白がっているようにも思える。

実はしっかりとした用途や、その意匠に至る理由があるのだろうと思うが、それは知らないままにしておきたい。

それほどまでに魅力的な箱だった。

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by k_hankichi | 2017-09-13 07:19 | 美術 | Trackback | Comments(2)

久しぶりの銀座と展覧会

久しぶりに、銀座まで足を運んだ。友人から教わっていた展覧会「かみ コズミックワンダーと工藝ぱんくす舎」に、足を運んだ。
http://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/event/index.html#event02

展示されているどの作品も、シンプルななかにも「紙」が醸し出し、もたらす風合いを余すところなく発信していて、日本が持つ控えめな気品というものに、静かに心打たれた。

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by k_hankichi | 2017-09-10 20:20 | 美術 | Trackback | Comments(4)

素朴な壁画に癒される

仕事で上野駅をたびたび通過するようになった。桜の季節のすこし前からは、改札口前広場には桜の造木、造花が飾ってあったりしてちょっと和ませる。今週も通過したときに、ふと天井と壁を見やると、そこには素朴なタッチの壁画がある。

何度も何度も通っているのに何故気付かないでいたのか不思議なのだが、マティスとゴーギャンと幼稚園児の絵を足して三で割ったような按配の作品で、 それが「自由」という題の 猪熊弦一郎によるものだと知った。

猪熊さんのことを調べてみて、意匠デザインから洋画、壁画、抽象画まで幅広く手掛けてきたことも知り、また顔だちはいかにも一家言ある芸術家という感じだけれど、なにか親近感が沸く。どうしてか考えていたら、僕の友人の一人が年を経るとこんな顔になるだろう、ということに思い当たった。

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by k_hankichi | 2017-07-01 09:05 | 美術 | Trackback | Comments(4)

フジタの素描の崇高さ

『ランス美術館展』(損保ジャパン日本興亜美術館)を観た。展示の半分はフランス近代画家たちによる作品、そして後半はレオナール・フジタの作品の数々だった。何よりも感銘したのはやはりフジタだった。

僕にとってそのなかでも最も素晴らしかったのは、ランスの平和の聖母礼拝堂のフレスコ画の下絵。それは素描と称してよい筆致なれども、込められた情念の深さは半端ではない。これをもとに彩色を施したフレスコ画が出来ていったのだが、結果の素晴らしさ以上に沁み入るものがあった。

それはモノクローム映画の作品が、俳優の情念をより深く伝えていくる場合があることに似ている。と同時に、作家の精神がしっかりと伝えられるほどの完成度だからこそなのだ。

藤田嗣治は、紛うことなくその世代の芸術家の域を超越していて、宗教はおろか何事をも超越して宇宙レベルに繋がる崇高さに至っていた。


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by k_hankichi | 2017-04-30 22:04 | 美術 | Trackback | Comments(2)

クラーナハとの出会い

映画のあとは、クラーナハの絵を観に国立西洋美術館に訪れた。久しぶりの上野だ。

静かにこちらを見つめる人が、それぞれの絵に居る。

宗教改革の前後で領主たちに仕えながら、この透徹なる絵の数々を描いたこの画家の、人の心を読む眼差しを感じた。

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by k_hankichi | 2016-12-11 10:15 | 美術 | Trackback | Comments(2)

夜のゲルニカ

出張からの帰り道に、矢も盾もたまらずそこを探した。いつも歩いている通路からすこし入った処にそれは静かに掲げられていた。

ブログ友人が教えてくれた『ゲルニカ』だった。

それは陶器に忠実に再現されていて、画家の令息によるお墨付きの作品だ。

人々の喧騒を避けるかのようなそれは、まさしくひっそりとある。

描かれたものには殺戮も血もないのにも関わらず言葉を失ってゆく。そして眺めるほどにそこには途方もない哀しみや憤怒が伝わってくる。

僕らを見ている。

僕らの遣り様を冷静に眺めている。

僕らの経済や政治や生活のなかの争いごとを静観している。

遠い極東にあって、はたして僕らはピカソの気持ちにどれだけ応えているだろう。

何も。

そんな言葉がホールから谺してきた。

誰の声だ?

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by k_hankichi | 2016-10-14 07:28 | 美術 | Trackback | Comments(2)

茫洋ということ

昨日、足を運んだ先で、驚いた。都民の日で(?)無料だったのだ。損保ジャパン日本興亜美術館の『カリエール展』だ。

ポートレートや家族を描いた生活画、そしてどこであるか「無記名」に近い(でも場所は書いてはある)風景は、どの作品もセピア調で、輪郭は茫洋と描かれる。視点を定めて目を凝らしても、やはり茫洋としているので、その人たちは存在しているのか消えかかっているのか、分からなくなる。

揺れ動く視線、触れるか触れないかのような薄絹を通じて柔らかく包み込まれるような人や風景。

19世紀末の日々を漂うように眺めているうちに、僕はいつしかそのころの彼らの部屋のなかに招き入れられていた。

揺蕩うような面持ちは持っていく先がなく、いつしか新宿の雑踏に誘い込まれて、キンミヤ焼酎の梅エキス割りを頂いていた。

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by k_hankichi | 2016-10-02 10:09 | 美術 | Trackback | Comments(2)