カテゴリ:クラシック音楽( 643 )

田宮の終焉の地をあとにして耳を傾けた曲

そして家に帰ってから耳を傾けようとしたのはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だった。

どうしてなのか分からないのだけれども、没後40年となる田宮二郎が亡くなった地を見たあとに彼を偲ぶ曲は、この曲しか浮かんでこなかった。

エレーヌ・グリモーと、ロイヤルフィルハーモニック管弦楽団、指揮はヘスス・ロペス=コボスによる1992年の演奏だ。

グリモーはウラジミール・アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団とも2000年に録音しているのだけれど、僕はどうしてか若いときの演奏のほうを好む。

鮮烈なエネルギーが溌剌に弾きいでて、しかし、そのメロディにはある種の哀しみが併存する。その哀しみを哀しみと知らぬ若さがこのころの彼女にはあって、そのアイロニーに当惑するけれども聴き手はその若さに負けるのだ。

田宮の若さとひたむきさと、自らも行く先を知らぬエネルギーを追憶する。

■曲目
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調
■収録
1992.6.16-17, Abbey Road Studio, London
■音盤
Brilliant Classics 92117/1


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by k_hankichi | 2018-12-03 00:34 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

遥か遠く彼方から響いてくるフォーレ

ジャケ買いは往々にして想像通りのものが得られてあまり例外はない。

オディロン・ルドンの ”Le Christ en Silence”が使われたこの演奏は、まさにその絵のイメージ通りで、微睡むような瞑想のなかに遠くから響いてくる。いつまででも静かに聴いていられてこころ落ち着くものだった。

いくつも持っているフォーレのアルバムの中でも手放せない一枚になった。

ついでに書き添えておくと、これも例のチェーン店での280円シリーズの一枚で、坪内祐三さん的な音盤収集エッセイが書けるような予感さえしてきた。

合唱は次のグループによる。
1. https://choeurvittoria.fr/english/
及びおそらくhttps://www.pccb.fr/(現在の「パリ木の十字架少年合唱団」なのかは音盤の記載内容からは分からなかった。)
2. https://evmpiquemal.com/

■曲目
Fauré
1. レクィエム 作品48
2. 小ミサ曲
■演奏
1. Orchestre de Chambre Bernard Thomas, Choir Vittoria + Petit Chanteurs de Paris, 指揮: Bernard Thomas
2. Ensemble Vocal Michael Piquemal, 指揮: Michael Piquemal
■収録:
1. 1984年10月、Eglise/Church Nortre-Dame des Blancs - Manteaux, Paris
2. 1985年6月、Eglise/Church Evangelique allemande Paris
■音盤: 仏Forlane UCD16536


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■おそらく、この演奏。


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by k_hankichi | 2018-11-30 06:42 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)

弾け迸るエネルギーの『英雄』

「『英雄』を聴いたことがないやつは、これから聴け」というような凄味の塊の音盤に出会った。

この人の指揮はバロックは安心だけれど、それ以外では期待外れもあるから、ちょっと躊躇しながらも値段に負けて買い求めたのだったけれど、あにはからんや、素晴らしき邂逅。

知っている人からは「当たり前やんけ」と言われそうだけれども、大学を出たあと20年くらいはクラシック音楽から遠ざかっていた唐変木だから仕方がない。バッハを演奏したときのアーノンクールがすきなファンにも尋ねたら知らないみたいだったから、直ぐに聴くことを薦めた。

印象は、ブルーノ・ワルター指揮のシンフォニー・ジ・エアによる『英雄』の音盤を聴いたときよりも更にびっくりして、椅子から転げ落ちそうになった。

ベートーヴェンの交響曲、こんなにはちゃめちゃに弾けるように演奏してよいのか!という感慨。

一言でいえば、岡本太郎の絵と人のような音楽だ。

それぞれの旋律は、ほかの指揮者やオーケストラで聴いてきたものとはログスケールで異なる(つまり桁違いの)弾力と諧謔と迸るエネルギーに満ちている。

演奏者たちもきっと、「ええ?いいのかなあ?」と思いながら弾いているだろうけれども、おっかないアーノンクールさんが「こうやれ!、お前ちゃう、こうや!」と叫んでるから、おっかなびっくりやっているうちに面白さに目覚めた、という感じだ。

いっつもCDのジャケット写真は気難しくて笑ったやつを見たことがないけれども、アーノンクールさん、これを振り終えたときには、満面の笑みだったろうなあ。

これまた某古本チェーン店の棚にあった280円盤だった。とにかくあのチェーン店に礼状でも書かねばならないと思うけれど、一方で本を売るときにいつも散々な目にあっているので止めておこう。おあいこということだね。

■演奏: ヨーロッパ室内管弦楽団、指揮: ニコラウス・アーノンクール
■収録: 1990年7月3日、シュテファニエンザール、グラーツ
■音盤: Warner (Teldec) WPCS-21001



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■Youtubeに誰方かがアップしてくれていて感謝。




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by k_hankichi | 2018-11-29 06:35 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)

ムーティを知った日

フィラデルフィア管弦楽団のお膝元の街をこのあいだ訪問して、リッカルド・ムーティへの深い賛辞を知って少し気になっていた。あの濃い顔つきからして僕には苦手のタイプで、強いて聴こうとはしてこなかったムーティ。本当はどんな男だったのだろう。

そんななか、何れの街にもあるあの古本チェーン店の棚のなかに彼とフィラデルフィア管弦楽団によるブラームスの交響曲全集(ハイドン変奏曲と祝典序曲、悲劇的序曲入り)があって、何回か躊躇ったのちに買い求めた。

第1番ハ短調作品68。

この曲は尊大荘厳過ぎて、実は僕は好きなふりをして聴きながら、気持ちの奥底では遠ざけてきたことを白状する。どうしても心が寄っていかなかったのは、名演と言われる演奏の数々は、頑迷すぎたり、あるいは甘美過ぎたりしたのだ。

そしてムーティたちの演奏を聴いて、のっけから驚いた。それらの事柄はどこにもなくて、それはそれらを排除したりしているのではなく、気持ちのなかにもとから無いのだ。

そこにあるのは透き通った純粋なる心と健康なる身体とでも言おうか。

前のめりになり過ぎない節度あるテンポと、張りと輝きのある音魂と共にある讃歌に、これまで聴いてきたブラームスの数々の演奏たちが遠く霞んでいった。

地球の丘や山々を上から俯瞰して滑空するかのように飛行する物体に乗って、僕は心を解放し、秋の蒼空に沁み込んでいった。

3枚組500円という値付けをしたお店に驚くとともに感謝したのは言うまでもない。

■収録: 1988.10 (Symp. No. 2 & 4, Overtures), 1989.4 (Symp. No. 3), 1989.9 (Symp. No. 1, Haydn Variations), Philadelphia
■音盤: Philips 470942-2


■ムーティはこのころ、こんなに優男だった。これじゃあ彼の地の市民たちが熱狂しない訳がない。(解説書から)

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■圧巻の第4楽章。

■第1楽章も良い。



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by k_hankichi | 2018-11-28 07:19 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

マーラーによる心温まるシューベルト讃歌

マーラーが編曲したシューベルトの『死と乙女』の弦楽合奏版を聴いている。

これはおっかなさや陰鬱さとは無縁の、心温かなシューベルト讃歌だと思う。

心快活となるその旋律は、マーラーがシューベルトのどこをどう気に入ったのかが時折見え、その静かなる憧憬の念、謙虚に思いを伝えている姿勢に感銘する。

■曲目
シューベルト:
[1]「死と乙女」D.531
[2] (マーラー編) 弦楽四重奏曲第14番 D.810 (弦楽合奏版)
■ジェフリー・テイト([1]p, [2]指揮) イギリス室内o [1]アン・マリー(MS)
■収録: 1985年
■音盤: EMI 7 47354 2



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by k_hankichi | 2018-11-22 12:19 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)

身も心も優しくほぐしてくれるギターによるショパン

出張から帰ってきてまず聴き始めたのは
福田進一によるショパンとタレガのギター曲集。

これは、ほとほとに疲れた心身の奥底、骨の髄まで優しく撫でてくれる。

これを聴いていると、ショパンはワルツやマズルカ、そして前奏をギターのために書いたのではないかしら、とまで思ってしまう。

なんという素晴らしいメロディ。もちろん編曲が秀逸なこともあるかもしれないけれども、そんなことを考える暇もなく、優しく解きほぐされて音魂のなかにたゆたう。

■収録曲
・ワルツ 第3番ホ短調 op.34-2(ショパン/タレガ編)
・夜想曲(ノクターン)第2番ホ長調 op.9-2(ショパン/タレガ編)
・マズルカ 第22番嬰ヘ短調 op.33-1(ショパン/タレガ編)
・マズルカ 第25番ニ短調 op.33-4(ショパン/タレガ編)
・マズルカ ト長調(タレガ)
・マズルカ ハ長調『夢』(タレガ)
・前奏曲 第2番イ短調 (ショパン)
・前奏曲 イ短調 op.28-4(ショパン/タレガ編)
・前奏曲 第1番ニ短調(タレガ)
・前奏曲 ニ長調 op.28-7(ショパン/タレガ編)
・前奏曲 第3番ト長調(タレガ)
・前奏曲 嬰ト短調 op.28-6(ショパン/タレガ編)
・前奏曲 第6番ロ短調(タレガ)
・前奏曲 ホ長調 op.28-11(ショパン/タレガ編)
・前奏曲 第5番ホ長調(タレガ)
・前奏曲 嬰ハ短調 op.28-20(ショパン/タレガ編)
・前奏曲 第7番イ長調(タレガ)
・前奏曲 イ長調 op.28-15『雨だれ』(ショパン/タレガ編)
・マズルカ ホ短調『アデリータ』(タレガ)
・マズルカ イ短調『マリエータ』(タレガ)
・マズルカ 第16番ニ長調 op.24-3(ショパン/タレガ編)
・マズルカ 第45番ホ短調 op.67-4(ショパン/タレガ編)
・夜想曲(ノクターン)第9番ト長調 op.32-1(ショパン/タレガ編)
・マズルカ 第41番ト短調 op.63-3(ショパン/セゴビア編)
・ワルツ ホ長調『ドス・エルマニータス』(タレガ)
■録音: 1999年4月7-9日、静岡音楽館AOI
■音盤: 日本コロムビア COCO-73355


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by k_hankichi | 2018-11-10 23:01 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)

松本隆の才能の深淵を知る

初めて『夏の夜の夢』の劇のストーリーを理解した。神保町の古本まつりで買い求めた音盤によってだった。

劇が面白いだけでなく、吉永小百合が日本語で読んでいる台本は本当に美しかった。翻訳は松本隆によるものだった。

日本語の精緻なこと。流れるような言葉。五七五の詩のように音魂が転がりながら諧謔と抒情が入り混じる。

“このシェイクスピアの戯曲は、戯曲というよりも、歴史上に存在する最も美しい「詩」のひとつだとぼくは思う。初めて原語で読んだとき、何てシンプルで綺麗な言葉なんだろうと感動した。(中略)ぼくはこの巨大な幻想詩を前にして、英語の「意味」を翻訳するというよりは、シェイクスピアの言葉が奏でる「音楽」の流れを、そのまま日本語に、してみようと思った。”

彼はこのようにライナーノーツにしるしていた。

ぼくにとっての松本隆は、1980年代以降のあまたの歌謡曲、ポップスの名作詞者、あるいは深く心地よい吐息と共に耳を傾ける『風をあつめて』などの曲の演奏家としてしか認識していなかったのだけれど、この劇によってその才能は更に底知れぬ深さと幅を持つことを初めて知った。

晩秋に触れた夏の夜の夢に心はほっこりと温かくなった。

■曲目: メンデルスゾーン 劇音楽『夏の夜の夢』全曲 作品61
■演奏: ボストン交響楽団、小澤征爾指揮、タングルウッド音楽祭合唱団、キャスリーン・バトル、フレデリカ・フォン・シュターデ、吉永小百合(ナレーション)
■収録: 1992.10月、ボストン・シンフォニーホール、1993.9月、1994.3月、東京ファンスタジオ
■音盤: ポリドール POCG-1774(レーベルには小澤と吉永と松本のサインも印刷されている)


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by k_hankichi | 2018-10-30 06:53 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

『海よりもまだ深く』のもう一つの音楽

件の映画『海よりもまだ深く』のなかで、主人公の母親は、夫に死に別れているが、同じ団地の老輩が主催するクラシック音楽鑑賞の会でその寂しさを紛らわせている。

作品のなかで老輩が紹介しているのが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲・第14番嬰ハ短調作品131。

レコードプレーヤーに載っていたのは懐かしき青空色の半円の欠片。CBSソニーのレーベルだった。

きっとこれはジュリアード弦楽四重奏団の音盤だな、と思いながらエンドロールを迎えると、まさにその通り。

これを聴いて、シューベルトが最早このあとに書く曲はない云々を呟いた例の下りまでが、映画のなかで説明されていて、もう無性に聴きたくなる。

夜の帳が下りたあとに静かに耳を傾け、そして今朝もそれを再び流す。

寒さが身に感じられるようになった晩秋にぴったりのひとときを過ごしている。

■演奏
ズスケ弦楽四重奏団
■収録
1980年1月、聖ルカ教会、ドレスデン
■音盤
プリリアントクラシックス、94672


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by k_hankichi | 2018-10-21 10:53 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(6)

押し付けてこないフィッシャー=ディースカウ

肩の力を抜いたディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウだと思った。アルフレート・ブレンデルの伴奏で歌ったこの『冬の旅』の音盤は1985年7月17日から24日にかけて、ベルリンのシーメンス・ヴィラで収録されている。

梅津時比古さんは次のように記している。

“声の全盛期を過ぎて負担のかからない発声法に変えており、それが軽く透明な響きを生み出している。余分なものを削ぎ取った表現は、一種、枯淡を感じさせる。”

“ホテルの部屋で話しを聞いたりしたときの声もこの声に近かった。ということは、発声的に話すような声に近づけていった要素もあったということだろう。”

ああ、だからあのちょっといばったような押し付けがましさが無いのだ。この声色には、僕はストレスを感じない。

彼の1960〜70年代のオペラや声楽曲の歌声には、僕はいつもそこから遠ざかっていたい気持ちになっていたからとても不思議な感じがした。




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by k_hankichi | 2018-10-13 23:35 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)

スゼーによる『冬の旅』

シューベルトの『冬の旅』を少しずつ、少しずつ、噛み締めながら聴いている。

まだまだ真髄の芯にまで到達してはいないので、あまりあれこれ言えないのだけれど、今いちばん僕の心に寄り添ってくるのは、ジェラール・スゼーとダルトン・ボールドウィンによる音盤だ。

抑制がとても効いていて、それでいて気品がある。少しずつ述懐していく。

淋しさや哀しさというものを聴かせてやろう、というようなものが感じられない。

ドイツ人歌手によるものとは全く違う感覚で、それでも僕はこれがしっくりとくる。

冬の旅は奥深く、僕の旅が行き着くところも果てしない。


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by k_hankichi | 2018-10-08 19:38 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)