カテゴリ:クラシック音楽( 621 )


2018年 05月 16日

究極の脱力音楽に癒される

    風邪からの回復途上のなか、ダニエル・オッテンザマーによるクラリネット曲集に文字通り癒されている。肩肘を張るであるとか虚勢を張るという世界とは一切無縁な演奏だ。

音楽は、シューベルトとモーツァルトが主体で、だから尚更、これ以上脱力できないほどに揺蕩う。

    オッテンザマーは31歳という若さながらウィーンフィルの首席奏者。急逝した父親エルンストもウィーンフィルの首席、弟のアンドレアスもベルリンフィルの首席というクラリネット一家だそう。

こんな人たちが隣家に住んでいたならば、漏れ聞こえてくる音楽だけでも毎晩観る夢も爽やかな優しいものになるだろう。

■音盤
ソニークラシカル SICC-30249
■演奏
ポール・グッドウィン指揮/ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
■収録
2014.5.17-18、モーツァルテウム大ホール、ザルツブルク
2014.5.21-22、サラ・プリンシパル、パンプローナ、バルアルテ他
■曲目
  1. シューベルト:セレナード D.957の4[歌曲集「白鳥の歌」]
  2. 同: 君はわが憩い D.776
  3. 同: 「ミツバチ」作品13の9
  4. モーツァルト: クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 I Allegro
  5. クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 II Adagio
  6. クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 III Rondo.Allegro
  7. ベートーヴェン:モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より「お手をどうぞ」による変奏曲 WoO.28
  8. ラナー: シュタイアー舞曲 作品165
  9. シュトラウス: ポルカ「休暇旅行で」 作品133
  10. ファルバッハ: 電光石火のポルカ 作品295
  11. アンコール(即興)
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by k_hankichi | 2018-05-16 06:45 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
2018年 05月 14日

拮抗から融和へ、そして解脱へ・・・ブダペストSQによるドビュッシー

ようやく音楽を受け付けてくれる頭になってきて、ブダペスト弦楽四重奏団によるドビュッシー/ラヴェルの弦楽四重奏曲を聴き始めた。

この演奏はいずれも1957年の収録。それを見て一度買うのを止めてしまったのだが、友人の薦め(それと例の坂本龍一のテレビ番組での語り)に触発されて買い求めていた。

さてドビュッシー。これまでイタリア弦楽四重奏団のせせらぎのように流麗な演奏が僕の好みだったが、ブダペストは動きに満ちている。演奏者たちは掛け合う。互いの肩の先を小さく上下させたり傾けながら、互いの旋律を見せつけ絡み合う。それに酔いしれている光景がまざまざと浮かび上がる。そうして第1、第2楽章が終わる。

第3楽章は融和だ。肩肘張っていた過去を顧みてこれからの行く末に静かに眼差しを向ける。相対するのではなく同じ向きを向いて協調してゆく。「これからは共に歩んでいこう、ゆっくりとだけれどね、お互いに、ようやっとでもね」というような声が聞こえてきそうだ。あまたあるドビュッシーのなかでも珠玉の演奏だと思う。

第4楽章。深まりゆく静けさのなかから、一転して過去の情動とエネルギーに満ちた日々が蘇っていく。弦と弦は競り合うかのようだが、それは以前のような対峙ではなく融和、そしてそれを超えての解脱を目指す。

「ノスタルジー」ということの意味が言葉なく伝わってくるような演奏だった。

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by k_hankichi | 2018-05-14 06:39 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
2018年 04月 08日

ホロヴィッツの魔法の指先

ロシアに生まれ育ったホロヴィッツが61年ぶりに祖国に帰国してモスクワで開いたリサイタルのDVDを買い求めて演奏を見たとたんに椅子から転げ落ちそうになった。

ピアニストは肩肘を全く張らない。それだけではなく、両手は鍵盤と平行に、そして極めて近接している。

その指先は鍵盤の上を左右に動くだけで魔法のようにそこから音が発せられる。指先は白鍵黒鍵を叩いているはずなのに、その素ぶりが見えない。

いったいどうやって音が出ているのか分からないようなふうで、布巾で鍵盤を撫でつけているかのような軽い動きなのだ。

その指先からスカルラッティが流れてくる。友人が兼ねてから言うイタリアの古い家具(椅子)のような響きで、そのピアニシモの美しさといったらない。

ホロヴィッツに改めて恐れ入った。もっともっと聴いていきたい。

■収録
1986年4月、モスクワ音楽院大ホール
■音盤
ソニークラシカル  SVD64545

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by k_hankichi | 2018-04-08 20:06 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
2018年 03月 18日

静かにあの北欧の空気のことを思い出す

極東に戻り、泥のように眠ったあとは、静かにあの北欧の空気のことを思い出す。そんなときに掛けて聴いているのはシベリウスのピアノ五重奏曲 ト短調。ガブリエリ弦楽四重奏団とアンソニー・ゴールドストーン(of)による。この音盤にはニ短調 作品56「静かな声」も入っている。

陰影はフランク的でもあり、しかし冷たく寂しくて、少し明るい第3楽章のスケルツォになるだけでホッとする。しかしその明るさは、冬から春になってようやく一日中の殆どが夜だった季節から解放されたくらいのもの。凍てつく大地はまだ水の滴るようなところにはならない。

それで良いのだ。少しだけ明るいだけでも嬉しくなる。

北欧というのは、そういう土地なのだ。北欧人というのは、そんな人々なのだ。

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by k_hankichi | 2018-03-18 17:41 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
2018年 03月 13日

吊り下げられたオルガンのようなパイプから

立ち寄りたいと思っていた場所に、思いもかけず訪れることができたのは日曜日の夕刻だった。ヘルシンキの中心部から歩いて30分ほどの、凍った川のほとりの公園にそのモニュメントはひっそりと佇んでいた。

あまりにもさみしそうな公園だったから、興味がない人たちは、ただ風景にそぐわないものが飾ってあるとしか思わないだろう。

だから尚更それは、その音楽に合っているように思える。

寒くて凍えそうで、北の空に太陽があがるような土地に内包された、生へのあくなき希求。暖かさへの憧れ。

そんな音魂が、吊り下げられたオルガンのようなパイプから響いてくるかのようだった。

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by k_hankichi | 2018-03-13 05:19 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
2018年 03月 02日

春の日に寄り添うモーツァルト

何の意図も希望ももっていなかったのに、どうしたことなのか、モーツァルトの曲が押し寄せてくる。映画から、読んでいた本から、豚まんから。

そしてその曲を聴き込んでいけばいくほどに、モーツァルトの曲というのは、何の衒いも、何のお仕着せも、何の強引さもなく、それぞれの曲、それぞれの旋律というものが創られているのだということを知る。

バッハは、キリスト教というものをトリガーに極めて新たな和声と技法を生み出した。
ベートーヴェンは、精神と意志というものをトリガーに怒涛のような音魂を生み出した。

それに対して、いま、冷静に耳を傾けてみるとどうなんだ。

モーツァルトは、何の企てもせずにありとあらゆる音楽を生み出したのだということに、ようやっと気づく。

そして『春の嵐』という映画を観たときの記憶までもが蘇る。

至高と怒涛と、ありとあらゆる感興を呼び起こす、春の一日だった。

■写真は朝に西に向かう際に聴いていた曲。久しぶりのジュピター。最終楽章は本当に素晴らしかった。この曲はやっぱりワルターが最高だ。
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by k_hankichi | 2018-03-02 22:12 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
2018年 02月 23日

何事も輪廻転生であること

久しぶりにバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータを聴きたくなり、ウォークマンで聴きはじめた。そして驚いた。

どうしたことか、同じ曲を異なる演奏者が次々に弾きはじめたのだ。

リチャード・トネッティ、五嶋みどり、レイチェル・ポッジャーの順番だ。BWV1001の1楽章三人、そして2楽章三人と続いていき、終楽章までいくと、ようやく次の曲(BWV1002)に入っていく。そこでも、各楽章ごとに演奏家が変わっていき続いていく。

三人三様の演奏で、どれもが名演奏。僕がそれぞれの音盤を見つけ、聴き始め、そして心に沁みていったそのときの記憶が、其々から蘇ってくる。

そして何だか神妙な気持ちになっていった。輪廻転生というのは、こんな感じなのではないか、と。

その時期その時期の記憶や自分の心身、そして自分と周囲との関係は異なり、己の状態はどんどん変化しているのだと思っていても、それぞれを分解して、切り口を揃えて並べ繋げてみれば、実はそれ程違わずに似通っているのだと。

自分自身についてそんな感じであるばかりでない。

もしかすると、他の人の人生と重ねてみても、そんなに大きな違いはないのではないか。無伴奏ソナタを違う人が演奏してもやはり無伴奏ソナタで、それは永久に無伴奏の名曲であることと同じように。

ウォークマン用の曲目管理ソフトウェア「Media Go」と機器側の機能のバグは、思わぬ気づきをもたらした。

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by k_hankichi | 2018-02-23 08:05 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
2018年 02月 20日

心身を文字通りぐちゃぐちゃに没頭させているバーンスタインによるマーラー

友人とマーラーの交響曲第9番は、演奏というより、曲なんだよな、素晴らしいからだいたい感動する、という話をしていた。でも最後に彼は、バルビローリの指揮、そしてバーンスタインの指揮によるものが、一、二やな、と呟いたあと次の話題に移っていた。

帰途の車窓から外を眺めながら、ん?バルビローリの音盤は持っていないんだけれど、バーンスタインはあったような・・・ということを思った。

果たして書棚をさがしてみると、おおっ。そこにお蔵入りしていたものがあって、それはしかも全てがライヴレコーディングによる全集。ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による1975年から1988年にかけての演奏だ。もちろん全てレナード・バーンスタインによる指揮。

■音盤: ドイツグラモフォン 00289 477 8668

僕はバーンスタインを一部の演奏(シベリウスやチャイコフスキー)を除いていささか苦手にしてきたから、ちょっと聴いただけで奥の院に収納されたままになっていたのだろう。

これを日曜日から聴き始めて(電車のなかで)腰を抜かしそうになることしきり。身体が、腕が脚が、勝手に夢遊病者のようになっていく。どんなふうなんだ、この曲集は。つまりマーラーは、バーンスタインは。

「没頭」ということばが、文字通り音楽のなかに頭から飛び込んでぐちゃぐちゃに心身を悶え掻きむしっている、ということが良く分かる。上気した人間がやる様はもう手が付けられない。カラヤンのマーラーが冷静という雰囲気だけを醸しながら表面をなぞっているだけであることが良く分かった。

持つべきものは友だなあ。いつも思うけれども音楽や小説についてのそれがぬわわるとまた格別だ。

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by k_hankichi | 2018-02-20 00:31 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(9)
2018年 02月 06日

少しずつ暖かくなって聴くブラームス

少しずつ暖かくなってきた。凝縮していた空気、水分、そしてありとあらゆる物質が、その歪みを解放する準備をしている。立春を境にして寡黙に、でもしっかりと方向をもって動き始めようとしている。

そんなときに聴くのがぴったりだったのが、ブラームスの間奏曲集の音盤だった。そしてそれはしかも新しい出会いと発見の場になった。

グレン・グールドの演奏がありさえすれば事足りるとずっと思っていたこの曲集。アルカディ・ヴォロドスは、静かに自分の心の声と過去と現在を結びつけ、そして、まだ少しはある未来につなげまでゆく。

「6つの小品 作品118」の2曲目は、昨年のTBSドラマ『ごめん、愛してる』で、主人公(長瀬智也)の生みの親のピアニスト(大竹しのぶ)が、子供を思い弾く曲だ。大竹は長瀬が実の息子だと知らない。付き人によって死産だったと騙されているからだ。そして長瀬は孤児院に預けられた。

大きくなってからは韓国に渡りヤクザのポディーガードを務めていたが、しかしとある抗争で負った銃弾が元で、余命幾ばくもなくなる。そんなとき、生みの親が居ることを情報屋から教えられ、ひょんなことから大竹の家の運転手の職を得る。

亡き子を思う親の哀しさ。親を慕いたくても近づけない哀しさ。その相克の気持ちをこの曲が伴走する。

ブラームスはこの作品118に、何も具体的に示さない「小品」と命名することに頑なにこだわったという。そしてその第3曲目にバラード、5曲目にロマンスと副題をつけ、それ以外は間奏曲とした。

題名がないからこそ、そのときそのときの弾き手と聴き手の想いが沿ってくるのかもしれない。

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by k_hankichi | 2018-02-06 07:07 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
2018年 01月 30日

指先が勝手に宙を・・・ミヒャエル・ザンデルリンク /ドレスデンフィルの『英雄』

久々にみちのくに向かっている。車中で聴くのは、ベートーヴェンの交響曲第3番 変ホ長調 作品55。この演奏は非常にリズミカルで、そのまま踊りだしたくなる小気味良さがある。

第2楽章は哀しみのはずだけれども、オーケストラの音の響きが素晴らし過ぎて、思わず陶然となる。低弦やティンパニーの音の張りは、旨い日本酒(例えば神亀)をぬる燗でゆっくりゆったりと呑んでいるかのよう。口に含んで飲み込んだあと、メロディをそのまま口ずさんでいる。

第3楽章は、舞踏の権化で圧倒する。耳を傾けているだけで、手の指先までもが勝手に宙で円弧を描き始める。ホルンのラッパになって高らかに歌う。夢遊病者か。

最終楽章。材料分析解析学の教科書を眺めているような不思議な気持ちに包まれる。あら、こんな旋律だったの、こんな音魂が、こんな響きが、こんな弾き方が、まあ!という感じ。自分の人差し指が、またむた勝手に宙をあれこれ漂い始める。いとおかし。

指揮のミヒャエル・ザンデルリンクは、クルト・ザンデルリンクの息子であり、初めはチェリストとしてデビューしたそう。オケはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。

エルベ川沿いの古都で、この理知と機知に富んだ演奏をいつの日か生で聴いてみたい。

■収録
2016.6.24-25, ドレスデン・ルカ教会
■音盤
ソニークラシカル SICC 30434-5

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by k_hankichi | 2018-01-30 07:27 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)