穂村弘による書評集のなかに石原吉郎の詩集が取り上げられていて興味が湧いて読んでみた。こんな詩人がいたのか、ということ以前の衝撃だった。『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)。

壮絶なギリギリの環境を経て、無意思無思考状態から戻ってきて、治癒快癒が始まり、大分と時間が経ってから、地表に植物の芽が生え始めるように、ぽつりぽつりと言葉が復活し始める。そういうさまを垣間見ているようだった。

ロシアの強制収容所とはこんなにも酷い環境だったのか、人間が人間ではなくなるような境遇とはどういうことなのか。話には聞いていても、実体験者でも、それの意味を掘り下げ、言葉として思考として、しっかりと蓄え再構築できる人はほとんど居なかったのだ。

その結果の詩だった。

この詩文集の冒頭に、彼による「詩の定義」がある。

“(前略)詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」こたばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。”

ロシアでの強制収容所でかろうじて生きながらえた経験を基にした手記も壮絶だった。読後感を書くことさえ、おこがましくなる。

だから周囲には、この本を読め、としか言いようがなく、そしてそれ以上でもそれ以下でもないのだと思った。

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by k_hankichi | 2018-02-09 07:21 | | Trackback | Comments(3)