2018年 02月 07日 ( 1 )

大江健三郎と古井由吉の対談集は難しかった。けれども、おぼろげながら謂わんとしているところは捉えることが出来て、また、小説家というのは大変だなあということも切々と伝わってきた。『文学の淵を渡る』(大江健三郎 & 古井由吉、新潮文庫)。

対談のなかで彼らは次のように言っている。

大江: 小説を書いて三十年たって思うことは、相当多くの言葉の石を蹴飛ばしてきた経験だけが残っているということです。それがハンディにもなっている。使ってきた大量の言葉を洗い流して、基本的な枠組みだけを残して、これが私です、今までの仕事は全部このためのじゅんでしたといえればいい。小説家はそれを夢見て生きているのだと思います。しかもそういうことはしだいにやりにくい形に今日の文学がなってきているという気もします。(中略)

古井: 五十代半ばにかかって、どうかすると、ここで一つ鞭をいれると、よく走る小説になるのではないかと思ったとき、怖くてとめることがありますね。

以上、「群像」1993.1月「小説・死と再生」からの篇。

これは、今から25年前のやりとりだ。僕たちはもう既に、そのころの大江さん古井さんの年齢を超えてしまった。

六十を前にして、小説家たちはまだまだ途半ばだと思っている。あらあらそれに引きかえ、サラリーマン稼業の我々はどうしたことだろうか。

ものを書いて生計を立てるなんて、随分と悠長な気楽な商売だよなあ、となかば思っていた自分を恥じた。

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by k_hankichi | 2018-02-07 07:01 | | Trackback | Comments(4)