『白洲スタイル』(白洲直哉、飛鳥新社)を読了。父方の祖父は小林秀雄、母方の祖父母は、白洲次郎・正子という彼だ。最近は美術展などのプロデュースをされているということで、次のような記載に、ああそうだよなあと心が落ち着いた。

“僕は近ごろ、青山二郎展をプロデュースするなど、モノを展示する仕事をしているので、モノがよく見える距離について考える。印象派の絵、たとえばセザンヌやモネなどは、あまり近くに寄ったら、単なる色彩の点々にしか見えない。また、同じ洋画の梅原さんの絵と向かい合う時など、その迫力を最大限に感じる位置が、後ずさりして、ここだ、と立ち止まる、鑑賞のポイントが見つかることがある。もっと言うと、架かっている場所にもよる。美術館はだいたい、一定しているが、家に架かっていると、自然光だったり、また暗いこともあるので見え方が違ってくる。三十三間堂の近くにある養源院で、宗達の屏風を見たときに、あれはあそこで見ることを前提に描いたのだと思った。蛍光灯を消し襖を開けると外からの自然光の中で浮かびあがってきた松を、僕は忘れることができない。”(「ほどよい距離」より)

“本物を見るということは、「個人の発見」ではないのか。いわば、美に関する「個人差の表明」でもあるから、そこに自己満足を超えた美しさがあるかどうかが問題になる。僕自身のことで言えば、モノを選ぶときはいつもそんな気持ちを持っている。(中略)僕も自分のことを「目利き」だとは思わないし、そういう世間の評判にはまったく興味がない。ただ、好き嫌いははっきりしている。先述した箱から出た瞬間の閃きのように、自分の好きなモノだけははっきりわかる。だから、その都度、強く心に響いたものを買い集めてきた。これぞ!と思うものには、感じる"なにか"がある。それは人でも、器でも、書でもみんな同じだ。僕は、そのいわく言い難い"なにか"を大切にしている。”(「僕の「遊び」の哲学」より)

白洲スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”

白洲 信哉 / 飛鳥新社

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by k_hankichi | 2014-11-19 00:44 | | Trackback | Comments(3)