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岡本太郎とタモリの対談

岡本太郎生誕100年記念事業のサイトがある(http://taro100.jp/)。このなかに太郎が語ることばを聞くことができる。芸術について分かっているようで分かっていないこと、短いけれども含蓄がある。「蹴飛ばすこと」、「歓喜」、「地球がひっくりかえった」。

その語りが面白くてすこしWebで調べていたら、タモリさんとの対談がYoutubeに載っていた。1985年の『今夜は最高』。これはとても含蓄のある対話だ。タモリさんはその実、とても緊張しながら岡本さんからいろいろな言葉を引き出そうとしている。岡本さんは実に朴訥に応えていくが、存在から語りが出てくるようで、とても興味深い。モンドリアン、カンディンスキーらとの付き合いの話も出てくる。

「芸術は爆発だというのはね、自分のこころのなかに自分の存在の中にぱーっと燃え上がるものが音もなしにね、心の中でね、宇宙に向かって開くことだからね、だからいわゆる爆発と、芸術は爆発というのはまるでちがうんだ。」

佳つ乃(かつの)という舞妓さんもその隣におり、そちらはそちらでなんともいえぬしとやかな色香を放っている。このひとは一体なにものなのだろう。

不思議な組み合わせの、そして貴重な対談だ。


by k_hankichi | 2011-02-27 17:33 | テレビ番組 | Trackback | Comments(0)

雑誌「新潮45」の3月号の特集は、『伝説の美女「原節子」を探して』(デビュー75周年記念)である。そして、彼女がデビューした翌年に出演した映画『生命の冠』(昭和11年、内田吐夢監督)のDVD全編が付録としてついている。この映画はこれまで一度もビデオ化されたことがないというからそれはおどろきで、説明に「原節子と北方領土15歳の"幻"映像」とあり、今は足を踏み入れることができない国後島でのオール・ロケと分かれば更に触手がうごく。何件か訪れた書店では即日完売と言われ、ようやくインターネットサイトで新刊を手に入れた。

そしてその映画。原節子は樺太の真岡の蟹の缶詰工場の経営者・有村恒太郎の妹役(絢子)として出ている。原が出ているのは工場のシーン。たくさん出ている女工さんらの間に、一人きらきらと光る彼女がいた。“抜群”という言葉はこういうことをいうのに相応しいように思える。これが15歳なのだろうか。時代を何十年も先取りしたような端正な美しさだ。もしこの極寒の北の地に、彼女のような人が待っているのだったら、胸の奥はいつでも暖かいだろう。流氷の海と吹きすさぶ風がそのコントラストを高める。

映画のストーリーは山本有三によるものだそうだが、蟹の不漁に際しても約束したことを守る誠意とはいかなるものかを説くもの。物事をごまかさず真心で接することで道を切り開いていく。最後は工場を手放すことになるが、それでも高いモラリティを保つことの大切さを伝えようとしている。現存のフィルムはトーキーをサイレント化した短縮版で、おそらくもうすこし繰り広げられただろう彼女を含めた心の葛藤は残念だけれど残されていない。

『東京物語』での「私、ずるいんです」とか、『晩春』での能舞台観賞の嫉妬心の鋭いまなざし、とかの片鱗は、もちろん垣間見ることはできない。しかしそれでも、15歳の原節子がすでに立派な女優であったということを知るだけでも、何か柔らかなふわりとした気持ちが心の奥にしずかにのこる。

☆☆☆☆

新潮45 2011年 03月号 [雑誌]

新潮社

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by k_hankichi | 2011-02-27 15:31 | 映画 | Trackback | Comments(2)

ドラマ『TAROの塔』

岡本太郎は1911年2月26日生まれだそうで、その生誕100年にあたる昨日からドラマ『TAROの塔』(NHK)が始まった。松尾スズキという俳優は、岡本さんにあまりにも仕草や語り方がよく似ているので呆気にとられた。彼の語りや物事を見つめるやり方、リアクションは岡本太郎そのものだ。

1970年の大阪万国博覧会プロデューサーに就任した岡本太郎は記者会見で、「人類の進歩と調和」という博覧会テーマに異論を唱える。まさに彼ならではの真骨頂のせりふがここにある。

「はじめに、私はこの万博のテーマに反対である。人類の進歩と調和なんてクソ食らえだ。人類は進歩なんかしていない。確かに宇宙へいく科学技術は発達したが、肝心の宇宙を感じる精神が失われているじゃないか。それに調和といったって、日本の常識でいえばお互いが譲り合うということだ。少しづつ自分を殺して譲り合うことで馴れ合うだけの調和なんて卑しい。」

そして万博のテーマが危険だからプロデューサを引き受けたと言い放つ。

「人間は生きる瞬間瞬間で自分の進むべき道を選ぶ。そのとき私はいつだってまずいと判断する方、危険なほうにかけることにしている。極端な言い方をすれば、己を滅びに導く、というより、自分を死に直面させる方向、黒い道を選ぶということだ。無難な道を選ぶくらいなら、私は、生きる死を選ぶ。それが私の生き方の筋だ。」

1970年の万博。僕にとってもその思い出は半端ではない。千葉県に住んでいた小学生の僕は、親に連れられ2度も見学しにいっている。2度とも遠路はるばる車で訪れている。親もたいそうな気合の入り具合だった。その混雑振りは凄かった。僕ら一家は、行きたいと思っていたパビリオンに入ることはまずできず、気短な父親らによって、たとえば「フジパンロボット館」とか「自動車館」、「ブリティッシュコロムビア館」など、若干人気の低いパビリオンを巡っていたが、それでも1時間待ちはざらだった。遠目で見る「アメリカ館」はうらやましかった。

岡本太郎が、この博覧会にかけた想いなど何も知らなかった僕。その軌跡を知り記憶から遠ざかりつつある僕の1960年代を取り戻すためにも、このドラマは大切だ。
by k_hankichi | 2011-02-27 10:12 | テレビ番組 | Trackback | Comments(2)