2010年 07月 07日 ( 1 )

ゴルトベルク変奏曲の弦楽三重奏版を聴いている。

アマティ弦楽トリオ。

ピアノ曲は、程よく三つパートに分解され、和声が浮き彫りになるように構築されている。ゴルトベルクが好きな人は一聴に値する。

昔、大町陽一郎だったか、ベートーヴェンの『運命』をパートパートに分けて、演奏させながら、曲のならわいやパート毎の相関、構築性を紐といていったレコードがあったが、あれを聴いているような感覚。

ああ、こんな甘い甘い通奏旋律があったか、とか、こんな対位があったのか、とか、この駆け引きのようなやり取りは上手いなあ、とか、知る。好きな旋律が出てくると嬉しい。

しかし、そこまでだ。これは、ピアノ原曲とは、似て非なるものだ。

弦の、連続した摩擦振動音はテンメンジャンのようであり、水飴であり、昭和40年代のデパートのお好み食堂の、クリイムあんみつのようである。聞こえてくるはずのものが、聞こえてこない。閑散とした観光地や喫茶店のBGM、いや、あるいはサスペンスドラマで犯人が分かったときに流れる、心境描写音楽なのだ。

バッハは、鍵盤の離散音からなる、あの、音と音の粒が、ばらばらにならないぎりぎりのところで、繋がり連なり、いのちを息吹きを、与えようとした。

音と音の間にある静寂にちかい空間に、美や憧憬や、哀しみ、淋しさ、喜び、共鳴を与えた。

原曲の、天に昇るような至福感は、ピアノという、複雑な機構をもった、革命的な楽器によって、はじめてもたらされたものであることを、思い知る。

J.B.バッハ:ゴールドベルク変奏曲(弦楽三重奏曲編曲版)

Amati String Trio / Brilliant Classics

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by k_hankichi | 2010-07-07 08:05 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(1)