『映画長話』(蓮實重彦、黒沢清、青山真治、リトルモア)を読了。いやはや、映画人たちのマニアック度合いには舌を巻いた(呆れた、というニュアンスも入っている)。たんなる鑑賞家の僕には到底入り込めない世界。それでも幾つか気持ちが昂った。
僕には苦手だったフランシス・フォード・コッポラについて、次のように話をしている。そうなのか、それなら観てみなくてはと思う。
蓮實:それに比べて、『コットンクラブ』の最後の雪の下手くそさとか、いろいろあるんですけど、今回の『胡蝶の夢』で駄目なコッポラをすべて忘れました。こうまで簡単にコッポラを許してしまうのは、こちらの涙腺がゆるくなっているからかしら。(中略)あれに感動しないアメリカ人は本当に許しがたい。アメリカ映画は日本しか支えられないんだってつくづく思いますよ。フランスではそこそこ評判はいいようですが。
(「2 フィルムかビデオか、それが問題だ。」より)
敬礼談義は面白かった。黒沢の『トウキョウソナタ』についてだ。
蓮實:男性が女性に向かって、軍隊の制服も着ず制帽も被らないで敬礼するのは、『秋刀魚の味』の小津しかいないってことは考えられませんでした?
黒沢:いや、あ、・・・・そんなこといま初めて指摘されて・・・そうか・・・そうですよね。敬礼って言えばもちろん『秋刀魚の味』ですよね。いや、でも本当にいま言われるまで全然気づきませんでした。
蓮實:知らない間にやってしまったんですね、怖いですよね。
(「3 どこまでもかまわない。」より)
この対話には「えっ・・・?」と思った。
僕が自分の父の家を訪問したあと、じゃあね、また来るね、と言って挨拶すると、父は「うん、じゃっ」と必ず敬礼を返してくるからだ(今もだ)。妻だけで訪れたときも同じ。軍隊や予科を経験している戦前派であれば、女性に向かっても敬礼するのは普通なのだとモノ申したい。
次の解説はまことに的を得ていた。僕も気になる俳優だったからだ。
黒沢:リチャード・ウィドマークは、ドン・シーゲル作品から入っちゃったので、その後の出演作を観ると物語上はいい人なんですけれどどう見ても悪い人に見えるという、何だろうこの人はと思った最初の人かもしれないです。(中略)60年代末から70年代にかけては、主役だけど最後に死ぬというパターンにはまった人ですよね。最後は壮絶な死というより、バカみたいに死ぬ。出てきた途端、ああこの人死ぬんじゃないかって思わせましたね。豪快なアメリカのアウトローとは全然違って、何か小心で精神が破綻してる感じ。
蓮實:内心の葛藤もなく、生まれつき悪を体現するしかないという奴ですよね。とにかく、こんな顔した奴は生き残れるはずがないと誰もが思うような。
青山:本来はスターになれない顔ですよね。
(「4 恐いこと、怖いひと。」より)
そして極め付きは次だ。
青山:しかしカイエばかりでなく○○年代のベストテンという催しを行っているところはどこもリンチの『マルホランド・ドライブ』がベスト1ですよね。
(中略)
蓮實:デヴィッド・リンチをシカトしたここにいる三人は、信じがたくとろいんですよ。
黒沢:フランスもアメリカもカナダもベスト1が一緒というのは、きょとんとするばかりですね。なんで?と。
蓮實:リンチやウォン・カーウェイはバカでも、いえ、誰でもわかったような気になる便利で褒めやすい映画なんです。ところが、スピルバーグは誉めにくいし、挙げるには勇気がいる。競いあうのは勇気であって、便利さであってはならないというのが、せめてものつつしみのはずですがね。
(「8 『アバター』から“正義感”を取ったら何が残るか。」より)
僕もデヴィッド・リンチにはぎょっとしていて寄り付けなくなっていたから、ようやく救われた気がした。