「千住かあ、松尾芭蕉がそこで句を詠んで、そしてそこから舟に乗って川を渡り江戸を後にしたんだね」
と友人が感慨していたから、実はね、という話をした。
「昔は、北千住の北側の荒川は無かったんだ。芭蕉は北千住から先、地続きを単に歩いていっただけだ。」
矢立初めの句、「行く春や鳥啼 魚の目に涙」は、深川から隅田川を舟に乗って北上し、いまの南千住のあたりで舟から降りて読んだ句。そこからようやく歩き始めたのだ。
知っている人も多いとは思うが今の隅田川こそが昔の荒川。それがよく氾濫してしまって人々を困らせていた。1913年(大正2年)から18年掛けて掘削して1930年(昭和5年)に荒川放水路が完成した。
放水路は1960年(昭和40年)にようやく荒川と改名され、北区の岩渕水門から下流がわのそれまでの荒川は、隅田川と改名された。
むかしの地図を眺めると、なんだか途方も無い感覚に捉われる。あんなに広い川幅の放水路をよくぞ作ったものだ。明治大正時代の英断は驚嘆に値する。
■『東京古道探訪』(荻窪圭)より。右下端が北千住駅。