ドビュッシーの最後の一年というのは、愛娘シュシュに目を細めながら、素晴らしき作品たちを送り出した余韻に浸りながらゆっくりと静かに終わったように思い込んでいた。それがどうもまるでちがうのだということを、ようやく知ったのが今だった。
『ドビュッシー最後の一年』(青柳いずみこ、中央公論新社)。
晩年も音楽にさまざまな試みを施し、舞台音楽にも工夫を凝らし、歩み、いや疾走しつづけたドビュッシー。
それまでの友や親しき人であろうとも、音楽についての考えを異にしてしまうと、口をつぐみ交歓を閉ざす気持ちの一徹さと激しさを持っていた。晩年まで本当に真剣に音楽に対峙していたのだ。
そんなドビュッシーも亡くなるときはやはり壮絶な苦しみだったようで、しかし、それが終わったとき、ヤコブの梯子が下りてきたことも感じられた。
「パパは幸せそうな、ああ、とても、幸せそうな様子をしていて、その時には涙を抑える勇気がなくて、ほとんど倒れそうになり、パパに口づけできなかった」
シュシュはパパの亡骸を前にしたときの気持ちをそう書いたという。そのシュシュもまた翌年に亡くなってしまったのだということを、青柳さんの本を読んで初めて知った。しかし天国で二人が一緒になれたことを思うと、それも一つの安堵だ。
『聖セバスチャンの殉教』の初演を前にドビュッシーが語ったことも僕には新鮮だった。まるで吉田健一が「時間」について書き連ねているかのようだ。
時間の流れ移ろいのなかに空や雲の色や様子が刻々と変わっていく様子が素晴らしいという。音楽というのは、そういうときの心の反応のように、いきなり昔の記憶の欠片が浮かび上がったり、またそれに呼応して次の新たな何かを呼び起こすような、そういう結果の表出なのだという。
没後100年にこの本を出してくれた青柳さんに深く感謝する。