理由を求める社会だと、つくづく感じる。どうして、なぜ、なにが切っ掛けで、背景は、理由は。社会のなかで、会社のなかで、政治のなかで、生活のなかで、そういう事項を常に求められていく。自分でも家庭のなかで、どうかすると、というか往々にしてそういう問いかけをしていることにも気づく。
どうして幼い子供を・・・。
何故政府のトップ案件だと・・・。
なぜ今年の春は夏日が多い・・・。
ノーベル文学賞選考委員がなにゆえ・・・。
どうして目を合わせない・・・。
反則なのに何故背後からタックルを・・・。
当社を志望する理由は・・・。
今日の電車の遅延はどうして・・・。
かつてはアイドルグループにいた男がは何が切っ掛けで・・・。
その学科を選んだ背景は・・・。
犯行の動機は・・・。
理由、訳、背景、動機、切っ掛け。。。
必然的にそうなりました。
理由無くそうしました。
訳はわからないがそうしたかった。
動機という動機はありません。
単に好きだからです。
切っ掛けはありません。
それで良いような気がしてきた。起きた事象に対して、素直に対応すればよいだけなのではないか。
悪事には罰する。
志望者は動機ではなく技量を見る。
事故についてだけは真の原因を掴み対処する。
だんだんと、カミュの世界に近づいてきたのかもしれない。
■理由なく古書街で福永の本を買い求める。