「不機嫌な人々」が多くなった、とブログ友人がこのあいだ書いていた。確かになあ、と思った。僕にも経験がある。知人同士の場合は大変丁寧なのだけれど、一旦その枠から外れたとたん、相手に対していかにも不機嫌に接する人たちが増えた(ように感じる)。
・家電量販店の店員に食って掛かっているひと(品質保証書の範囲内でしか対応されませんよ)。
・満員電車でぎゅうぎゅうなので、押されていると、逆に小突いてくるひと(ストレスで病気になりますよ)。
・独り言をずっと呟いて怒っているひと(確実に怖いである)。
・居酒屋で料理の出し方が遅くて「もう二度と来ないから」と、お客さんが沢山いる店内に向かって、大きな声で捨て台詞を吐いて出て行くひと(いま食べている僕らの気持ちはどうなるの)。
・交差点の右折で少しもたついていると威嚇的な運転をしてくるひと(そのうちぶつかって事故になりますよ)。
・飛行機でサービスが悪いと怒るひと(ナッツリターンという事件もあったなあ)。
・事故で遅延した鉄道で駅員に食って掛かって言い続けるひと(その時間に自分で善後策を打ったほうがよいのになあ)。
権利を主張し、苛立ちを隠さず表明し、自己の正当性を言い、他者を押し退け、相手が同じ人間なのにモノのように見做す。
一方で、その真逆の人たちも増えたようにも思う。如何なる出来事に遭遇しても無関心を装って貫く人たちも。呆れ顔やら驚いた顔はしてみせるものの、僕もそういう一人になっている。
竹中直人はそんな時代を先取りしていたかもしれない。「怒りながらも笑った顔でいる人」だ。これからは「不機嫌でも温和な顔」をすることにしていれば、次第に不機嫌さは消失して、本当に温和な人々の集まりになっていくかもしれない。祈りの世界だ。
■朝に静かに佇む男