外堀から浜離宮へ注ぐ川の底にある中国料理店

連日の汐留である。『築地・本マルシェ』。講演会の内容は空振りで、「まあいいや、どうだって」と『サアカスの馬』の心境だ。

しかし収穫はあった。

昨日の街歩きの途中で気になった場所があり、その実態を確認したかった。

首都高速・会社線の、新橋・汐留側は、もとはと言えば溜池から外堀、新橋を経由して浜離宮まで繋がる川の跡。地上が高速道路、地下は駐車場になっている。そこに降りる階段の入り口に、料理屋はこっち、という看板があって、それがどうしても気になっていたのだ。

そしてそこを降りた。

寒々とした只の駐車場しかそこにはない。細長く湾曲しながら続く地下道を、おっかなびっくり歩いていった。

そして、そのほぼ突端というようなところに本当に店はあった。

中国料理「帝里加」(デリカ)。東京のなかのいったいどこに、これほど侘しい場所があるのか、という風情。これには参った。

歴史の生き証人のような佇まいを眺め少し目を瞑ると、瞼の裏に、江戸、東京、そして戦後の高度成長という白黒仕立てのコマ落ちした映像が流れていた。

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Commented by maru33340 at 2018-02-18 19:30
「何という侘しい風情でありましょうか。ここには父を亡くし名前を変えた和賀英良が貧しい少年時代、皿洗いをしながら住み込みで働いていたのであります。華やかな銀座の街を和賀はどのような思いで眺めていたのか…その心は本人にしかわからないのであります」
(丹波哲郎)
Commented by k_hankichi at 2018-02-18 19:46
「警部補、あっ、ありました、その当時の戸籍を、三吉橋の中央区役所でしらべました。苗字は和賀ではないのでありますが、三木秀夫とあります。もしかすると。これが本浦秀夫のことなんじゃあ、ないでしょうか。あの当時、戦災孤児たちで、この堀川のあたりは溢れかえっていたと聞いてます。皿洗いでこの中華屋に潜り込んで、それからあの高級マダムに拾われた、という推測はしてはダメですか?警部補!」(森田健作)
Commented by maru33340 at 2018-02-18 19:59
「吉村君、やはり鍵は川底にあったんだ。その線で追いかけよう。君はあのマダムをあたってくれたまえ。急がなければマダムの命も危ない」
(丹波哲郎)
by k_hankichi | 2018-02-18 12:35 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)