神保町で仕入れた『小津安二郎の悔恨 帝都のモダニズムと戦争の傷跡』(指田文夫、えにし書房)を読了。まえまえから喉の奥に仕えていた骨が取れたような気がした。『東京暮色』の評価などについて合点がいったからである。
“暗いというなら、成瀬巳喜男の1955年の『浮雲』はもっと暗い救いのない話だが、成瀬なら許せる。それは成瀬の資質だからだ。だが、松竹の盟主の小津にこう暗い作品を作られては、日本映画界は成立しない。(中略)もう自分はまともな人間ではなくなったという哀しみ、やり直すことのできない過去への悔恨など、多くのものが明子(注:有馬稲子演ずる)の中に浮かんでは消えているのであろう。このシーンの明子と孝子(注:原節子演ずる)の対比は非常に厳しい緊張感のある優れたシークエンスになっている。(中略)小津は、前作『早春』の金子千代(岸恵子)のような、ほんの遊びで色恋沙汰を起こす連中は許せた。だが、もう一歩現実に踏み込んだ時、明子のような悲劇になるのは当然と、厳しく戦後世代を批判していたのである。その意味では、前年に木下恵介が監督した『太陽とバラ』と小津の立場は同じだった。しかし、小津は、そこからさらに一歩先に、その根源は何かと突き進んでいる。それは、戦前の日本の大衆社会の退廃である。戦後の混乱は、実は昭和10年代の退廃にあると、この映画は言っているのである。”(「2 『東京暮色』という映画」から)
小津はやはり成瀬の『浮雲』に対してこの作品で勝負しようとしたのだと思えてならない。
一つの劇の裏には、沢山の哀しさと時代の悲劇が内包されている。