夢をみていたかのようだった。そしてたしかに誰も彼もが夢を見ていた。
誰もが成功することを夢見るだけならば良いのだけれども、沢山の人が他者よりも少しでも儲かることに知恵を張り巡らし、ときには大法螺を吹いてでもやり通そうとする。
法螺は法螺として分かるのならば可愛いげがあるが、アドバイザーやら学識専門家までもかつぎ出して、その商売やら製品や、技術、システムやらまでをも賛辞して、また、「今後のトレンド、今年のブーム」やらまで捻出して、みなで一斉に囃し立てる。
一般の人や、ある程度訳知りな人までも、それに乗って投資したりしてしまい、まだの人たちも焦って同じく投資する。会社がそれをやってしまうときまでもがある。
夢は価値に変わり、価値は利潤に変わるのだけれど、値上がりしつづけた暁に何があるのかは、これまでの歴史が物語っている。だから、最後の最後にはある事が訪れる。
それが明らかになる前に上手く売り抜けた人は勝ちになり、演劇なのだと見破ることが出来なかった人たちは負けになる。そして、勝った人たちはまた勝ちたいと思い、負けた人たちは、今度は自分らは上手くやってやると考える。
知恵を良い方向に使って欲しい。平穏平静なる世の中になるように目指して欲しい。
しかしそうは問屋が卸さない。
その国から帰ってきて、ほっと一息ついていると、この母国までもが、その国に倣っているような気配が伝わってきた。
立憲民主の言葉がとても大切に響いている。静かにしかし、しっかりと響け。
■日没はどこにでも訪れる。