実家に立ち寄って話をしていたら、ひょんなことから自動車運転免許証返上のことが話題になった。
僕の父親はもう80歳代も最後半に差し掛かる年齢。最近世間を騒がしている高齢者の自動車運転ミスと加害事故のこともあって、そろそろ免許返上しないといけないんじゃない?ということだ。
しかし父親は、そんな諭しのことは全く意に介さず、昭和30年代の高度経済成長の時期に初めてスバル360を手に入れて以来60有余年の自動車運転歴を振り返りながら、昭和の自動車社会のことを語り始める。
彼は、おそらくいま生きている世界中の人たちのなかでも、トップ1%に確実に入るだろう長寿かつ凄腕ドライバーであり、そしてその車をなんでも自分で修理できてしまう世代の最後だと思う。
そんな父親に教育されての僕だから、自動車は自分で修理するものだと決めてかかってこれまた40年が過ぎており、「あんた、昔から車好きだったわよね」と母親から言われることになった。
母親の記憶披露独演会とあいなって、当の本人がまるっきり忘れている事柄を、どうしてそんなに覚えているのか、という、啞然を通り越して、脅威すら感じる次元の時間に突入。
たしかに、僕の車好きは父親譲りかもしれない。そして、それ以外の生きる指針のこまごまとした事柄のひとつひとつまでも、父親の影響を相当に受けていることを、改めて、しみじみと思い至った。
それほどまでに、僕という人間は単純素朴で、だから自分のアイデンティティなどというものは、有形無形なもの、あるいは、ほんとうに取るに足りないものだともいえる。
■"memory" by Olin Levi Warner (1844–1896). Photographed in 2007 by Carol Highsmith (1946–), Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4150818