昭和続きの小説を読む。姫野カオルコが直木賞(第150回、2014年)を得た『昭和の犬』(幻冬舎文庫)。昭和30年代から平成に至る時代を生きる女の、犬と共にある自叙伝的な作品だった。
強父論さながらに強い父親のもと育てられた主人公イクは、怒る親のそばを離れるために、小川を見てくる、と請う。そのときの彼女の気持ちの中の描写が愉快だ。
“(ベツレヘムに旅出とう)
心が縺れたとき、イクはいつも遠い所に旅立つ。杖を持てば、滋賀県香良市の田んぼの広がる一帯はすぐに塩の海やガリラヤの海に変わり、自分は杖もち旅する、とうほうの博士になる。空想のパレスチナの道を杖をついて歩いていく。穂の刈り取りの終わった田んぼを何反も何反も縦横無人に歩く。”(「宇宙家族ロビンソン」より)
イクは大型犬が好きだ。だから小型犬に敵意を持つほどになっている。その気持ちは僕も同じで、読みながらまさに有頂天になってしまった。
“自問自答した。とどのつまりイクは小型犬が好きではないのである。犬好きは猫を好かず、猫好きは犬を好かぬことがよくあるが、イクは両方とも好きである。が、小型犬は「ならば猫を飼えばよいではないか」と感じられるのである。清香が抱いていたのがよくなかったのかもしれない。「体が悪いわけでもないのだから自分で歩かんか」とつい思ってしまう。(親の庇護のもとにあるくせに、いっぱしの能書きをたれる渋谷のセンター街にいる中高生のような犬め)”(「ペチコート作戦」より)
「ツ、イ、ラ、ク」の名恋愛小説家がこのような気持ちを持っていたなんて。しかしその犬への熱い愛情と思いに溢れた佳作だった。