新聞の日曜版に紹介されていて、組織のことを考える立場だし読まなくては、とその実、それとはちがう心に抗いながら買い求めた。『心が折れる職場』(見波利幸、日経プレミアシリーズ)。
“こうした知的労働の職場の人が陥りやすい間違いは、「こうすればいい」という「正解」を求めてしまうところにあります。ところが、説明するまでもありませんが、心の問題は論理で割り切れるものではありません。(中略)心の問題をかかえていそうな人がいたら、理詰めですべてを解決しようとするのではなく、当初は「お前も大変だよな」と寄り添ってくれる空気をいかにつくれるか。”(「第1章 飲み会が少ない職場は危ない」から)
と言っている。
一方で、「部下を叱らない=メンタルケア」の勘違いとして、叱るべきときは叱り、でも頑張った面は誉める、とも書く。(「アドバイス上手な上司が部下の心を折る」より)
趣味をもち仕事以外でも人とのさまざまな合流の場をもち刺激をもつのは大切、と諭す。
著者はこの社会に真剣に危機感を持っている。人間が人として育っていく過程のなかで、なにかが抜けている人たちがいることを明らかにし、そういった事態にたいして、こうしなければ、と次々に指南をしてくれている。
しかし読め進めていくうちに、僕には途方もない「無力な空間」が目前に拓けていることを感じた。サハラ砂漠のなかをあてどなく歩いていた。
そして著者が諭すこととは違う方向を思った。
心が折れたり折れそうになったら、アルチュール・ランボーを読みなさい。そしてサハラ砂漠なりデカン高原なりウラル山脈なり、あるいはサンジェルマン・デ・プレの街をさ迷いなさい。なにかを掴むまで。なにかを見つけるまで。
それは永遠かもしれず、また、海と溶け合う太陽かもしれないから。