軽快に読めるのだけれど、噛みしめての味があるエッセイと言えば、沢木耕太郎だろう。勉強になることもたびたびである。『ポーカーフェース』(新潮文庫)もそうだった。
“世の中にはさまざまな恐怖症が存在する。
閉所恐怖症、広場恐怖症、暗所恐怖症、対人恐怖症、男性恐怖症、女性恐怖症、動物恐怖症、植物恐怖症、不潔恐怖症、飛行機恐怖症、列車恐怖症、雷恐怖症、果てはピエロ恐怖症からトランペット恐怖症などというものまである。(中略)あの偉大な作曲家のウォルフガング・アマデウス・モーツァルトも、幼い頃、トランペットのソロの演奏を聞くと体の調子が悪くなってしまったという。”(「恐怖の報酬」から)
通りでモーツァルトの音楽にはトランペットがあまり出てこないように思う。というかあまり似合わない。
“きっと、高峰さんは最後の最後まで、「潔さ」を貫いたことだろう。そして、その結果、真の「高峰秀子」になったことだろう。たぶん、悼むというのは「欠落」を意識することである。あの人を失ってしまった!と痛切な思いで意識すること、それが悼むということなのだ。だが、人はやがて忘れていく。なぜなら、忘れることなしに前に進むことはできないからだ。前に進むこと、つまり生きることは。”(「挽歌、ひとつ」から)
沢木さんによる高峰秀子のエッセイ集の解説はとても素晴らしく、だからこの挽歌もこころに沁みた。