ここ数日、記憶の大切さということが頭の中を巡っている。ようやっと読了した『ピアニストは語る』(ヴァレリー・アファナシエフ、講談社現代新書)のなかでも、次のように語られていた。
“プラトンの『メノン』などの対話篇によれば、知識とは想起(アナムネーシス)、すなわち自分がすでに自らの裡に持っているものを想い起こすことだというのです。あなたの心は、すでにすべてを持っている、だからプラトンは、知識の一側面としての記憶について語ったのです。あなたはすべてを知っている、しかしこの知識を、自ら思い出さなければならない。ほんとうの知識は、外から来るのではないのです。
(中略)
わたくしの考えでは、芸術とは他者とのコミュニケーションではなく、愚かさへの抵抗の行為なのです。外部に行って、いったんは受け身になって何かを得る。しかしヘーゲルも言うように、その得たものと共に再度みずからに回帰し、このプロセスによってさらに自分を豊かにし、自分の思考の幅を広げ、仕事の射程をさらに長いものにする。哲学者にとってだけではなく、ピアニストにとっても孤独が重要だと私が考えるのもそのためです。”(「第1部 人生」より)
アファナシエフのピアノを聴いていると、そこには作曲家でもなくピアニストでもなく、そしてまた一人の表現者ということでもなく、「一人の人間がそこに居る」、と感じるのはなぜなのかが、ようやくわかってきた気がした。