ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲がずっと苦手だった。学生時代にもずいぶんと聴いてきたが、しかしそれでも心に沁みこんで来ない何物かが潜んでいた。
なにが僕を近寄らせてくれないのか。それを考えていた。そして今朝、それに気づいた。
それは「協奏するのには尊大すぎる曲」ということ。
カール・ズスケは、鋭敏で伶俐な刃物をクルト・マズアから取り上げられ、ゲヴァントハウス管弦楽団ですら均整さだけをテンポとともに保つ「凡庸なる思考停止」に陥った。
同じマズアがアンネ=ゾフィー・ムターと組んでニューヨークフィルを振ったものは、オケもムターの官能性に寄り添う演奏だ。甘美なしかし凛々しく宝石のように輝く音色でチャイコフスキーの協奏曲であるかのように絡み取ってゆく。この誘惑は怖い。連れ去られ溶かされて自分が自分でなくなりチョコレートでまとわりつかれゆく。彼女に覆いつくされてよいのか。不安と恍惚の葛藤に苛まれる。
それがどうだ。ディヴィド・オイストラッフの手に掛かったこの曲は、束縛を解き放ち、「自由なる蒼穹」に向けて自己投企してゆく。ソリストはオーケストラと文字通り競う。第二楽章のカデンツァなど、魂の打ち震えが伝わってくる。クリュイタンスとベルリンフィルが最高潮で、それを満帆に支えてゆく。
「尊大さ」におののいていてはならない。自分等の世界を坩堝と化し熱狂と饗宴で作曲家を乗り越えるしかない。
◼️曲目
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K216
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61
◼️演奏
デイヴッド・オイストラッフ(vn)
アンドレ・クリュイタンス指揮
フイルハーモニア管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団(ベートーヴェン)
◼️収録
1958年
◼️音盤
Regis RRC1329
◼️参考
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲