同じ観点が存在することに安堵した・・・無責任シリーズ vs 駅前シリーズ
小林信彦の『地獄の映画館』(集英社)を読んでいて、昔から覚えていた感覚がそこにあり、すこし安堵した。
“(前略)この無責任シリーズのおもしろさは、世相をアクチュアルにとらえたところにある、と思う。前作「無責任時代」では環境に対して積極的だった主人公が、今回は、受動的で、結婚までしているのは不安の影の濃くなってきた現在の社会情勢と無関係ではあるまい。ただ共通しているのは、どんな逆境に置かれても、「イイデショウ、イイデショウ」とうけ流している主人公のファイトとスタミナである。「紅白歌合戦」に出たほどの実力の歌も、今度は実によく行かされている。中でも、軍歌のパロディで、サラリーマンの悲哀をうたう「これが男の生きる道」ががケッサクで、「なんとかしなくちゃなァ!」という合いの手の呟きが泣カセル。(中略)とにかくパンチがきいている。ここには、たしかに<現代>がある。これにくらべると同じ東宝名物、駅前シリーズの「駅前飯店」の森繁、伴淳、フランキーの三コメディアンの笑い(これが笑えるとしてのハナシだが)の古めかしさはどうだろう。松竹新喜劇よりもっと古めかしい。昔ながらのアチャラカ芝居。話らしい話も、アイデアもない。ただ、この三人扮する中国人のあやつる日本語のタドタドしさで笑わせるだけのチエしかないのだ。(中略)森光子の女占い師など、もう醜悪というようなもので、どうして、ベテランがこんなコトをやっているのかとア然とするようなものである。「ニッポン無責任野郎」と「駅前飯店」の日本は、新旧コメディの大きな差をマザマザと見せてくれるのだ。”(「バッチリやった植木等」より)
僕が子供のころから感じていたことがここにある。もちろん僕の父親も同じであると思う。この映画シリーズと、それから100発100中の映画シリーズ(宝田明が出ているやつ)のテレビ放映があれば必ず観ていたから。
昨年であったか、無責任シリーズの映画DVD付きの雑誌が発売されたけれども、あれを無性に手に入れたくなった。