生きることの恍惚を知る・・・『惑星の岸辺』(梶村啓二)
人と人の気持ちを隔てさせてしまうことがあるとすれば、それは何によってなのだろうか。そして、それをつなぎとめてくれるものは何なのだろうか。この小説は、そういうことを通奏低音のように太くしっかりと、星々が遙か彼方から瞬き続けるように静かに教えてくれた。『惑星の岸辺』(梶村啓二、講談社)。カズオ・イシグロと互す、時代の波も超えて読み継がれる作品だと思った。
主人公は、木星衛星探索の途上で事故に遭い60年を経て地球に生還してきた男・甘南備俊介と、それを迎えリハビリテーションさせていく女性医師・橘ムラサキだ。
男の両親や妻は、とうにこの世を旅立っており、周囲には誰一人として自分のことを知る人、そして自分が知る人が居ない。自分の記憶すらあやふやになっている。彼を支えるその女もまた脳の奥底に隠された秘密を抱えている。二人がそれぞれに失ってしまっている心を取り戻すためには、想像を超える困難な行程がある。
彼女が車のなかでそっと掛ける音楽。それは、ヘンデルのオラトリオ『時と悟りの勝利』(HWV46a)の「快楽のアリア」(棘はそっとしておき、薔薇をお取り)だ。'Lascia ch'io pianga' From "Il trionfo del tempo e del disingann".
生きるということの愉悦は、体験を共有することであり、人と人の気持ちを繋ぎとめていくことの答えは、そういった時間と場所と、そして思い出を共有することなのだ、ということをしみじみと深く知った。
■棘はそっとしておき、薔薇をお取り(快楽のアリア) (オラトリオ≪時と悟りの勝利≫HWV46aから)、サンドリーヌ・ピオー(Sandrine Piau)による。→
https://youtu.be/iCRi0u_j-Bo■同、チェチーリア・バルトリ(Cecilia Bartoli)による。→
https://youtu.be/VhNRWduBPmY