中森明夫の『寂(さみ)しさの力』(新潮新書)を読了。さみしかった。そして著者は僕と同じ派なのだと確信した。
曰く次のよう。
“孤独とさみしさは違う。私はそう考えるようになりました。孤独だけれどさみしくない人もいれば、大勢の人に囲まれていてもさみしくてたまらない人だっている。実際、私は一人でいる時より、にぎやかなパーティー会場にいる時のほうが、ずっとさみしくなります。”(「序章 人はなぜ泣きながら生まれるのか?」から)
作家でありアイドル評論家でもあり、「おたく」という語の育ての親でもある著者は、さみしさを抱えているほどアイドルは人気が出るとも言及する。ああ、なるほど、と思うアイドルの名前が次々とでてくる。
人のことばかり言うのではなく、自分のさみしさ(孤独ではない)についても織り混ぜる。見下さず見上げる境地がいい。
モンテーニュも、『エセー』を書いたときそうだったと彼は想像する。そのモンテーニュの影響を受けた一人の知識人まで紹介されている。彼の回想録『昨日の世界』までが引用される。
シュテファン・ツヴァイク・・・。
いきなり僕は我に返る。大学一年生の頃に自分が居る。
ドイツ語の授業で、若い先生の気を惹こうと「好きな本はツヴァイクの『昨日の世界』です」と答案の横に書いた。
なぜ自分は文系ではない途にいるのか・・・。悔いていた。その気持ちが甦る。
異端児を夢見ながら、そうなれなかったあのときも、さみしかった。
今もさみしい。