『あの日、マーラーが』(藤谷治)の人々のなかに響く音楽
ブログ知人が読んでいることを知って、読み進め、感銘した。『あの日、マーラーが』(藤谷治、朝日新聞出版)。
2011年3月11日の震災の日の夕方、ダニエル・ハーディングと新日本フィルは、予定通り、すみだトリフォニーホールでマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調を演奏したという。その事実に啓発され、それを聴きにきた人々と、それぞれの人生と、心の模様を音楽を織り交ぜながら綴っていった小説だった。
マーラーにまつわる話も面白いのだけれど、次のような一節にも深く吐息をついた。
“なぜバロック音楽の巨匠の作品には、後代の音楽メカニズムを予見しているとしか思えないものがあるのか。これが永瀬が感じた、スカルラッティのソナタにある「何か」だった。スカルラッティのソナタは、のちのピアノソナタと異なり、一楽章しかない数分の小品だ。確かもともとは「ソナタ」という名称でもなく、王女のための「練習曲」として書かれたものではなかったか。・・・(中略)・・・つまり、ピアノで弾くことで初めて効果的に響く音楽が、ピアノという楽器がないうちから、スカルラッティの楽譜の中に、すでに書かれてあったということだ。”(「第一章」から)