先週末からマーラーという作曲家の音楽で、まるで病に罹ったかのような状況になっていて、読みかけの小説が、なかなか終わりまで辿りつかなかった。友人の薦めで読んだ『ソロモンの偽証』(宮部みゆき、新潮文庫)は、長大ながら自分たちの若かった時から現在までの、葛藤と欺瞞の素の姿を振り返えさせ気づかせ、内省させる佳作だった。
「事なかれ主義」「他責にすべし主義」「見過ご主義」の蔓延するいまの僕らの世界。小中学生であろうが、大学生であろうが、社会人であろうが、意識しないままに、流されるようにそうしてしまっている。
巻尾の解説で、松山巌が次のように書いている。
“ソロモンとは旧約聖書『サムエル記』『列王紀』に登場する古代イスラエル王国の王で、神から知恵を授かった者とされる。とすればそれほどの権威を持つ者、知恵のある者が嘘をついたという意味になる。作者本人は権威を持つものが嘘をついている意味、つまり学校組織や社会が嘘をいうこと、あるいは最も正しいことをしようとする者が嘘をつくことだと語っている。
要するに、ソロモンの偽証というタイトルは、一つには、体裁のための事件の真実を当初明らかにしなかった学校にも、思い込みで報道したマスコミにも、果たしてその姿勢は正しかったのかと作者は問いかけているのだ。”
小説の中で、互いに糾弾し合う中学生のみならず、社会人である僕らも、根拠の不確かなまま、安易に他者を糾弾し、自己正当化や保身のために退けていることがあるのだ、ということに気づかせられる。
強いものには抗えず、弱いものには強く対応する。そういうことは、論理的には何の正当性もないことが、ままある。
これは、僕らの公私ともどのもの生活のなかにある、自己防御と排他という状況への警鐘なのだ。