この土曜日の夜は、かつて学んだ海の向こうの大学の同窓会。クリスマスパーティと銘打ってのもので、かれこれ10数年ぶりに顔を出すものだった。自分と同世代の人たちはあまりなく、それどころか、すべての人たちは僕にとっては初顔合わせで驚いた。子供連れも居る。ちょっとは知った人がいるだろうと思ったが、いやはや驚いた。ロースクール、農学部、アート&サイエンス、ホテルマネジメント、ビジネススクール、化学工学、などなど多彩な顔ぶれ。
初めての人と話すのは、むかしはとても苦手で、「壁の花」になっていたのだけれど、いまさらそんなことをしていても仕方がない。ゆえにそれを振り切るべく、たくさんの人(知らない人)に声をかけ、あれこれ昔話をしていった。教授のこと、学校の建物のこと(xxxホールとか名前がついている)、食い物のこと、寮の部屋の間取り、当時の流行りの音楽、カレッジタウンの地理のことなどならば、どんなことでも話が繋がる。
周囲では子供らが流暢に英語のクリスマスソングを歌い、駆けずり回っている。酒も傾けつづけているうちに、次第に竜宮城のなかににいるような気がしてくる。大学の先生、弁護士、食品会社や工作機械の経営者、米国軍の特別捜査官、ホテル、ジェットエンジン会社、製薬会社、コンサル、経済研究所、鉄道会社などなど、日ごろあまり接点のない人たちが話し相手だから、まさに浦島太郎のようなのだ。
そしてそれは、自分の身の上が、とても偏った領域で仕事をし、暮らしているからなのだ、としばらくするうちに気づいてきた。如実に実感できてきた。
「心地よい命の洗濯」というようなものだったなあ。時間が経て、ますますその感覚が強まっている。