『「良心」から企業統治を考える』(田中一弘)という本が出る時代
企業経営に関するこんな題名の本があろうとは、とビックリして読んでみた。『「良心」から企業統治を考える』(田中一弘、東洋経済新報社)。副題は「日本的経営の倫理」だ。
世の中も随分と次元が低くなったものだと思う反面、米国のエンロンを始めとするいろいろな事件や出来事は、こういったことが倫理道徳として定着していないがために起きているのだよなあと感慨する。
対立構図として、以下のように描かれている。
①良心による企業統治
・良心(conscience)を起点に哀歓(歓びと哀しみ)をドライバーとする。
・自己統治(自律)と内発的動機付け
②自利心による企業統治(コーポレート・ガバナンス)
・自利心(self-interest)を起点に快不快(快さと不快さ)をドライバーとする。
・他者統治(他律)と外発的動機付け
コーポレート・ガバナンスという理念は、②の自利心による企業統治をドライバーとしている企業経営方法だということで、それが機能しないということが分かった現代、日本古来の生活人としての立ち振る舞いに返るべき。そのような感だ。
人間は、人の役に立ったり、人を喜ばせることに我々は歓びを感じ、人の役に立てない、人を害する、落胆させることに哀しみを感じる。「人のためになる」、ということを「利他」というのだということを著者から改めて説かれて、そうですよ、そのとおりですよ、ちがうのか?と心の中で反芻する。あたりまえのことを言われているので、心根がよくわからなくなってくる。
しかし、現代の経営、経済の成り立ち(株の売り買いや何々ファンドというものの素性)を考えてみれば、これとは対極にある場合があって、だから、「人のためになる」と著者が説くのは、その実、荒んでしまった経済原理の裏返しなのだと気付くまでに時間は掛からなかった。
「社会人としての道徳教科書」として流布し尽くしてほしいと思う反面、そんなことを説かねばならない時代はもう終わっているのかもしれないという諦観が頭を過る。