City and Regional Planning
「オレはCity and Regional Planning Departmentにいるんだよ」と、南アジアの国から来た男は僕に語った。語学力をつけるために入っていたクラスで、僕はそいつとは親しくなり、同じ国から来ている彼の友人たちとも親しくなった。
彼が住んでいるアパートは、僕の学生寮からほど近く、だから週末などは、彼らと一緒に飲み食いをしたり、長期休みには車で6, 7時間はかかる大都市まで出かけて遊んだりした。ワシントンD.C.の大使館で行われたその国の独立記念式典に出たりもした(もちろん日本の終戦記念日と同じ日で、そこに出席した日本人は僕ただ一人だった)。
彼はいま母国で大学教授になっているのだけれど、City and Regional Planningという響きの格好よさのことはずっと頭に残っていて、それがどんなことを学んだりデザインしたりするのかはわからなぬものの、そういうものについての教鞭をとっている彼については、憧憬にちかいものがある。
今週、中国の出張先で、訪問先の会社のカリフォルニアに居るかのように錯覚する建物や景観に触れた瞬間、いまから25年以上もまえの、その言葉の響きと思い出がいきなり湧き出て来た。目の前に拡がるこれがまさに、その仕事のひとつの姿なのだろう。
ふた昔前の、中国の田舎の痩せて荒れ果てた農村の片鱗は、どこを探しても見つからず、理由なくさみしい気持ちになった。