ひねもすのたり・・・『じゅんさいとすずき』(西脇順三郎)
昨日は世田谷に、今日は品川にと場所は移してはいるけれど、ひねもすのたり、のたりかな。という感じで、ゆるりと日長に過ごした。日中は、昨日立ち寄ったキヌタ文庫で買い求めた、西脇順三郎の『じゅんさいとすずき』(筑摩書房)を読み進める。
夕暮れには大井町の喧騒を少しばかり抜けたところにある今風の焼き鳥屋「俺のやきとり」に足を運び、しばし舌鼓を打ち、ほろよい気分でその近くの「すえひろ湯」の湯船に沈める。いよいよまた明日からは切った張ったの仕事にもどるのだけれど、昼間に読んだ順三郎の足跡はまさに昨日から僕がたどった途に近く、それが40も50年も昔の出来事であろうとも、なにか見えない力を付けてくれたような気がする。
“名利も捨て、風月も楽しまない人こそ、近代人として最も教養のある人ではなかろうか。しかしそういう人は貧乏生活をし、名誉も求めないですきな学問をこつこつとしている人の中にあり得ることである。 そういう人間はめったにみられないが、いるとすれば近代の本当にえらい人間であると思う。名利も求めず風流も求めない人が一番偉い人間にみえる。・・・(中略)・・・私は素朴なさびしい自然の風情を好む。その中に素朴な孤独な人間存在自身のさびしさを感じるからであろう。・・・(中略)・・・人間存在の本質から来るようなさびしさを感じることは、宗教的に説明すれば永遠にふれることであり、肉体的に分解すれば神経衰弱かも知れない。”(「路傍雑考」より)