『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』(多和田葉子)
言葉についてのとても染み入るエッセイだった。『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』(多和田葉子、岩波現代文庫)。
旅先で、多和田さんが感じた、言語にまつわるまざまな思い。
ダカール、ベルリン、ロスアンジェルス、パリ、ケープタウン、奥会津、バーゼル、ソウル、ウィーン、ハンブルク、ゲインズヴィル、ワイマール、ソフィア、北京、フライブルク、ボストン、チュービンゲン、バルセロナ、モスクワ、マルセイユ。
街の名前を追うだけでも心地よい。
“文章にはそもそも客観的に正しい長さというものがあるわけではない。長さも短さも表現手段の一つである。クライストの文章を読んでいると、言語そのものの与えてくれる喜びが脳細胞やその他の細胞に直接伝わってくるような気がする。そこから発する震えを吸い取って地震を起こし、歴史のように見えている風景に揺さぶりをかけることのできる文体は悪文ではない。”(「ベルリン」の章でクライストの文章について書いた一節から)
一瞬、吉田健一のことを書いているのかと思った。吉田は風景だけでなく、さらに時間についてまでも揺さぶりをかけるのだけれども。