特定秘密保護法案が衆議院で可決された。自公とみんなの暴挙は、歴史にその自らの「思考停止の罪」を刻むだろう。何を好んで、そこまで急いて進めるのか。どこに向かっているのか。どんな未来を築きたいのか。
そんななか、『バッハ復活』(小林義武、春秋社)を読了。バッハの復活は、メンデルスゾーンらによる根気よい市民運動により実現したことを改めて思い知った。一介の音楽家、音楽愛好家、そして市民たちによるたゆまない努力と熱意が再生させたバッハの音楽。
メンデルスゾーンが、バッハ没後79年後の1829年、『マタイ受難曲』の再演に向けてベルリン合唱協会の会長ツェルターに掛け合ったのは、20歳の若さだったという。ツェルターの強硬な反対にあい、彼は同僚に次のように漏らした。
「キリスト教の音楽のなかで最も偉大な『マタイ受難曲』を再び人々に聴かせようとする人間が、喜劇俳優(オペラ歌手デヴリエントのこと)と、ユダヤ人の青年(メンデルスゾーンのこと)でなけばならないとは。」
再三の交渉の結果、再演の演奏会を開くことができたメンデルスゾーン。その会場には、哲学者フリードリッヒ・ヘーゲル、神学者フリードリッヒ・シュライアーマッハー、詩人ハインリッヒ・ハイネ、後年の歴史学者グスタフ・ドロイセン、そして数々の音楽家たちが居た。その反響がいかに凄まじかったのかは、諸処の記録が物語っている。そしてもちろん、そういった彼の行動が結実して、僕らは今、バッハの音楽にこれほどまでに浸り癒され、啓発されることができている。
だから秘密にするような物事などこの世にはない。秘密にしようしようとしたならば、大切な想いや、魂の叫びや、生きる希望というものは、もうほかの人たちの目に触れることもなくなる。互いの触発ということも起きなくなる。影響の輪も生じない。そんな世の中にだれがしたいのか。
以下の写真は、この本にあった挿絵。13歳のころのメンデルスゾーンだという。フェリックスの姉ファニーの夫、ヴィルヘルム・ヘンゼルによるスケッチ。すでにそのころ、フェリックスは深くバッハの音楽に傾倒していて、翌年のクリスマス・プレゼントに祖母から『マタイ受難曲』の筆写譜を贈られている。それがやがて、フェリックスの迸る情念につながる。純粋無垢なるままの私的努力が人々を動かす。孤高の男の執念だ。
意志あれば通ずる。