ブログの友人に触発されたわけではないのだけれど、今日は丸一日かけて書棚を整理。棚板が幾つか外れてしまってガタが来ていた古い書棚二竿を廃棄し、新しいものと入れ替えたのだ。
どうしてこんなにたくさんの本が埋没しているのか、と思えるほど、読みかけの本の数々が、玉手箱のように飛び出てくる。小説類ならまだかわいいが、海外に行った時の都市のガイドブックやら、電車・バスマップ・時刻表、美術館のパンフレット類など、後生大事に取っておいたものまでもが出てくるので困る。
その時々の深い感興を深めたものなのだが、今となっては過ぎ去りし昔の一つの心のパセージだ。思い切って捨ててしまおうと思うのだが、「またあの街に行くときに参考にしようか」と頭をかすめ、捨てられない(でも行けるのか? いったいいつ行くんだ!?)。
昭和天皇のいくつかのイベントや崩御されたときの新聞や週刊誌までもが、ひょいと出てくる。こういったものも、「もしかして価値が出るかも」と、皮算用的欲望が混じった雲が眼のまえをにやにやと漂い、「一時保管場所」のようなところに一旦置いてみて、自分の心の行き処の様子を見ることにする。
書棚と書棚の間の隙間には、昔の写真アルバム(フィルムから焼いたやつ)が、薄いやつやリング状のフエルアルバムまで山のように積み重なっていて、数えたら60~70冊ぐらいある。ここ10年ほどは眺めていなかったものだから、いったん開き始めたら、家の想い出をたどる旅になってしまって収拾がつかない。気を取り直して、片づけに戻る。重量はあるから、いったん別の場所に運んでいるだけで、腰が痛くなってきた。
件のアルバムを納戸に収めてしまおうかと口走ったら、家人から、「あそこは複雑なのでわたしがやります」と言われ、だからこれも片付かない。家人がやると、あと一年はかかるかもしれない。どう複雑なのかい、捨てるものは捨ててしまえと言おうかと思ったが、自分の書棚の方はそうはできていないことに気づき、ヤブヘビになっては危険と黙り込む。
二度は読まないだろうと思う小説類を仕訳し束ねていると、別の家人がやってきて「もったないない、読みたい」と口を挟む。そして堆積されるものが増えていく。
やりはじめたら止まらない書棚の入れ換えは、まだ当面残務整理というか主務遂行があるようで、晩秋の休日の計画がずいぶん狂ってしまいそう。
「断捨離」
と大きく書いて額に飾っておかねばなるまいて。