『琥珀の眼の兎』(エドマンド・ドゥ・ヴァール)・・・宿命の輪廻
「人がもはやものごとに執着しなくなっても、かつて執着したものには何らかの感情が残ります。なぜなら、そこには常に、他人には理解できない理由があったからです。」
シャルル・スワン(マルセル・プルースト『ソドムとゴモラ』)
という前文から始まったものは、小説的な、あまりにも小説的なノンフィクションだった。『琥珀の眼の兎』(エドマンド・ドゥ・ヴァール、早川書房)。
東京に日本語と陶芸の修行に来た英国人・エドマンド(著者)は、長く日本に住んでいる大叔父のイギーを毎週訪れた。イギーは高輪に住んでいた。そこで出会ったのが飾り棚に並んだ264個の根付だった。
根付とは、所有物にぶら下げるストラップの先の、琥珀や象牙からつくる小さな彫り物のことである。兎や鼠や、さまざまな動物。そしてまた職人を始めとして、いろいろな種類の人間たちの態様。それが刻み込まれている姿に、遠く江戸時代の庶民や、いやまた上流階級の生活と愛好物を想像する。
何故、イギーはそれを持っていたか。それはかつては遠くウィーンの地で、イギーの父ヴィクトル・エフルッシの結婚祝いに、従兄弟のシャルル・エフルッシから贈られたものだった。それらは元々はシャルルがパリで収集したのだった。
ロシアのオデッサの穀物取引商から成功したユダヤ人・エフルッシ一族は、シャルルの代になってからは美術・文芸評論家として生計を建てるようになっている。ルノワール、モリゾ、ピサロ、マネ、モロー、プルースト、ラフォルグ、ゾラ。そういった芸術家たちとの親交のなかで、絵画を集め、売り、手元にも残し、そうしたなかで決して手放さなかったのが、264体の根付けだった。
栄光のユダヤ大富豪の宿命の輪廻。その果てが根付のふるさと東京にあったことは、偶然なのだろうか。
一族が栄華を極めた時代、ジャポニズムに溢れていたパリの街の喧騒までもが聞こえてくる作品だった。