ウゴルスキによるベートーヴェン・ピアノソナタ第32番の深淵なる宇宙の孤独
ウィルヘルム。ウィルヘルム・ケンプ。と心の奥底で叫び囃す声に従って、週末にお茶の水の行きつけのCDショップで、彼の音盤をまとめ買いした。そんななか、1枚だけ、僕のほうに語りかけてくる音盤があって、それをやり過ごそうとしたのだけれども、やはり引き返して買い求めたものがあった。
アナトール・ウゴルスキによるベートーヴェンのピアノソナタ第32番である。どうしてこの音盤が語りかけてきたのかは、彼による「エリーゼのために」をどこかで聴いたことがあるからかもしれないが、それだけで買い求めようと気持ちが動くものではない。
しかし、その呼びかける声は正しかった。
優雅さというものが典雅さに代わるものはどういうものかといえばこの第1楽章を聴いてみればよく、そして、ベートーヴェンのソナタのなかで特にむつかしく感じられていたこの第2楽章が、どんなに心に沁み入るのかということを分かろうとすれば、ウゴルスキのこの演奏に勝るものはないのではないかと思った。
ケンプをまだ聴いていないのだけれど、本当に深い深いため息とともに聴き惚れる。これまで聴いてきたどの演奏よりも、悠久なほどに静かな永遠さを感じることができる。
第2楽章だけを手持ちの音盤や、今回手に入れたウィルヘルム・ケンプなどと比較すると次のようである。ウゴルスキは、バックハウスの倍以上の時間をかけて演奏している。
ウィルヘルム・バックハウス:13分00秒
ウィルヘルム・ケンプ:14分33秒(モノラル、1951.9月)
ウィルヘルム・ケンプ:15分14秒(ステレオ、1964.1月)
イエルク・デムス:16分45秒
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ:16分52秒
内田光子:18分35秒
アナトール・ウゴルスキ:26分54秒
だから、この演奏は、もはや、深淵に遠くまで広がる宇宙のなかに漂う孤独を表わしているようで、それは枯れて淡いということを意味しているのではなく、それぞれの音が遥かかなたの永遠につながるということを、鍵盤で表そうとしてそうなっているものだと思った。
■曲目
1. ピアノ・ソナタ第32番ハ短調op.111
2. 6つのバガテルop.126
3. バガテル「エリーゼのために」イ短調WoO.59
4. ロンド・ア・カプリッチョ ト長調op.129「失った小銭への激怒」
■収録
1991.7月、1992年1月、フリードリヒ・エーベルトホール、ハンブルク市ハールブルク
■音盤
ポリドール POCG-1636