大学生くらいまでは、夏の暑さはへいちゃらだった。それだけでなく、もっと暑くても耐えられる、と思っていた。
それがいつしか我慢できなくなっていた。我慢ができないということだけではなく、我慢してはいけないとようやく悟ったのは、アメリカに出張してテキサスのダラスの街を歩いたときだ。
真夏のダラスの歩道は、誰も歩いていない。アスファルトは柔らかく、なんだかスポンジの上を歩いているかのよう。リー・ハーヴェイ・オズワルドが大統領を狙って撃った教科書ビルの六階が、「Sixth Floor」というメモリアルになっていて、そこでさんざん悲劇の映像や鎮魂のナレーションを聞きすぎたからなのかと思ったが、そのとき足元から街全体が地震に遭ったときのようにグラグラしていた。
眩暈だった。
大きな広告塔の上にしるされた気温は、102Fであるとか106Fとかであり、それは建物の階数ではもちろんなくて40℃に相当することを示していた。
それは例えば風邪で熱が高いときに、足元がおぼつかないときに似ていて、そのとき初めて、気温が高すぎると身体制御能力が弱まり、そうなってしまうことを知った。
怖いほどのこの夏の暑さ。眩暈を予感する。