たった一日しか居なかったのだけれども、ザルツブルグという街の光と影を感じた。
光は、もちろん、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の世界に代表される、美しい街並みと音楽だ(ミュージカルの名場面の数々とともに)。アルプスの山々を遠くに見て、ザルツザッハ川の両脇に拓けるそこには、旧市街側には数々の教会と城下町が、そして新市街側にはミラベル宮殿(1606年に大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人と子供たちのために建てた)がある。
その宮殿は、マリアとフォン・トラップ家の子供たちが街に繰り出してドレミの歌を歌ったまさにその場所で、青空のもとのその庭園は、「光」、「陽」そのものだった。
しかし、その遠景には、ホーエンザルツブルグ城が見える。この城は、11世紀後半の聖職叙任権闘争のあと、大司教ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世が、「カノッサの屈辱」への報復を恐れて築いた防衛城塞だ。そのなかには、街を守るためのあらゆる武器、貯蔵庫、牢獄、そして拷問部屋までもが備えられている。異分子をことごとく排除し、自分たちだけの世界を築こうとするもの。「影」、「陰」の世界だ。
そんな街のなかに生まれたモーツアルト。彼は、光と影がこの世の中に二つともにあるということを、幼少のころから身を以て体験していたのではないか。彼の音楽のなかにある陽と陰は、ザルツブルグという街の特殊性がもたらしたものに他ならないのではないか。
あまりにも美しい市街とともに、僕には時として何か痛むような、そして苦々しいものが見えそうになり、しかしそれを上着の内側に隠してしまいたくなった。
街から空港へ向かう帰路、ちょうど城塞の山裏を通過した。山上に高くそびえ立つ城には、ちょうど雲が光と影を投影していて、そこに内在するものが浮き彫りにされているかのよう。
ザルツブルグに生きる人たち。その心の奥には、なにか底知れぬものが流れているように思えてならない。ちょうど、トーマス・マンの小説『ベニスに死す』のなかで、ベネチアがペストに蝕まれているのにも関わらず、その市民が素知らぬ顔で平静に振る舞って生きているような、そういったもののなにかが。