心の繊細なる打ち震え・・・『ゴヤのファースト・ネームは』(飯島耕一)
久しぶりにじっくりと詩を読んだ気がする。『現代の詩人 飯島耕一』(中央公論社)。
このなかで、もっとも心を動かされたのは、『ゴヤのファースト・ネームは』だった。1974年に高見順賞を得ている詩集。
1970年初夏に、詩人は友人のドイツ語教師とヨーロッパの旅に出る。異国では、さまざまなことがらに刺激を受け、感性が研ぎ澄まされてゆく。
帰国後すぐの11月、三島由紀夫の事件があり、先輩であり友人のドイツ語教師というのもこの前後で帰らぬ人となっているようで、彼は翌年から抑ウツ病を患うようになる。病気の程度はひどく、家のなかに閉じこもるような日々が1972年の7月までつづき、夏からようやく、一人で外を歩けるようになり、秋からようやっと詩をかきたいという気持ちが沸いてきた。
そんなところから、再び書き始めた詩の一連が、この『ゴヤのファースト・ネームは』だったという。詩人自身が、この1972年は、1945年とともに根底から揺すぶられた年だと記している。
表題作から、一部を記す。
(前略)
何にも興味も持たなかったきみが
ある日
ゴヤのファースト・ネームが知りたくて
隣の部屋まで駆けていた。
(中略)
生きるとは
ゴヤのファースト・ネームを
知りたいと思うことだ。
ゴヤのロス・カプリチョスや
「聾の家」を
見たいと思うことだ。
見ることを拒否する病いから
一歩一歩 癒えて行く、
この感覚だ。
(なんだかサフラン入りの
サフラン色した皿なんかが眼にうつって・・・・)
その入口に ゴヤの
ファースト・ネームがあった。
(中略)
いまは 一年間絵筆をとらず
「恐ろしい性質」の病気のなかにあった
ゴヤのことに関心がある。
(中略)
グラナダで
芳わしい体臭の若い女
とすれちがった。
香水ではなくて
芳しい大衆の女とすれちがう、
ということが 他の都市で
他のどこで起こるだろうか。
(中略)
ゴヤのいた時間が
みずみずしく感じられれば、
きみの内部に ゴヤが生き出すのだ。
きみは また
時間を味わう ということを
知り始めた。
ゴヤのかわりに
きみが置かれている
時間がある。
きみが通過しなければ
傷つくことも 存在することも
なかったそれが。
ゴヤのビュランが
傷つけて行った
時間を、
きみは 一枚一枚
めくって行った。
(「ゴヤのファースト・ネームは」から抜粋)
飯島の苦しとそこからの解脱が、深く突き刺さるように伝わり、この詩集のなかの一連の作品は、どれもとても心を打つ。